3月29日のみことば

「自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり、あなたの骨は潤されるであろう」(箴言3:7~8)

ソクラテスは「汝自身を知れ」と言い、「無知の知」を唱えました。自分自身がまだ何も知らないことを知るところから真の知恵は始まるのです。私たちは神を畏れ、愛し、敬い、その言葉に耳を傾けることを最も大切にします。そうすると体はもちろん心にもしなやかな強さが与えられるのです。

3月30日のみことば

それぞれの収穫物の初物を、豊かに持っている中からささげて主を敬え。そうずれば、主はあなたの倉を満たし、搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる。(箴言3:9~10)

キリスト教ユーモアの一つ。一人の教師が生徒たちに神の恵みを教えようとしていました。「今君が持っているものは誰からもらったのだろうか?」「お父さんからです」「お父さんは誰から?」「お祖父さんから」「お祖父さんは誰から?」「曽祖父さんから」「じゃあ曽祖父さんは?」生徒はしばらく考えてから「曽祖父さんは盗んだんです」「?!」。聖書はこう教えています。「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです」(ヤコブの手紙1:17)

3月28日のみことば

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば…。(箴言3:5~6)

「自分の分別」が不要だと言うのではありません。それに優る主の知恵と力、導きと配慮への信頼を教えているのです。そうすれば「主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。そこには愛と恵みが満ち溢れていることでしょう。

3月29日のみことば

「自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり、あなたの骨は潤されるであろう」(箴言3:7~8)

ソクラテスは「汝自身を知れ」と言い、「無知の知」を唱えました。自分自身がまだ何も知らないことを知るところから真の知恵は始まるのです。私たちは神を畏れ、愛し、敬い、その言葉に耳を傾けることを最も大切にします。そうすると体はもちろん心にもしなやかな強さが与えられるのです。

3月27日のみことば

「慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。それらを首に結び、心の中の板に書き記すがよい。そうすれば、神と人の目に好意を得、成功するであろう」(箴言3:1~2)

「心」は理解と意志の場所、そこに愛と真実を「書き記す」とは暗記すること。「首」は言葉が出てくる場所、そこに愛と真実を「結ぶ」とは息をするように常に愛と真実を語るということ。それこそ神と人に好意を得、成功する最短コースだと知恵の教師は言います。

3月28日のみことば

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば…。(箴言3:5~6)

「自分の分別」が不要だと言うのではありません。それに優る主の知恵と力、導きと配慮への信頼を教えているのです。そうすれば「主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。そこには愛と恵みが満ち溢れていることでしょう。

3月26日のみことば

「わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。」(箴言3:1)

元インドネシアの宣教師だった浅見祐三先生の話。現地の方に仕事を依頼、大急ぎで仕事を終えて戻ってきた彼がぼーっとしているので「どうしたの?」と尋ねると、「あまりに急ぎ過ぎたので魂を置き忘れてきた」とのこと。「忙」という漢字は「忄(心)」+「亡」、つまり心が亡びること。縦に並べると「忘」、つまり大切なことを忘れること。忘れてはならないものは神の教えと戒め。「そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し、平和が与えられる」と箴言の教師は告げています。

 

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