3月22日のみことば

主は正しい人のために力を、完全な道を歩む人のために盾を備えて、裁きの道を守り、主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる。(箴言2:7~8)

「正しい人」「完全な道を歩む人」とは道徳的に正しく完全というよりも、神の言葉に従って歩みたい、主の慈しみの内にいつも生きたいと願っている人のことです。神はそのような人を見守り、盾となり、力と成功を備えてくださると言うのです。今週もそのような歩みをしたいものですね。

3月23日のみことば

「あなたは悟るであろう、正義と裁きと公平はすべて幸いに導く、と。」(箴言2:9)

神の知恵に触れた人の心には、偏見やえこひいきに代わって正義や公平への意識が育ち、それは間違いなく私たちを真の幸いへと導くでしょう。もちろん杓子定規な正義や公平ではなく、パウロがⅠコリント13章で言うように、それらの根底に愛がなければなりません。「愛がなければ無に等しい」ことになってしまうでしょうから。

3月21日のみことば

「…知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。」(箴言2:1~6)

毎日を悔いなく生きるために、直面している困難を堂々と乗り越えるために必要なものは、豊かな知恵と知識であり、将来までも視野に入れた英知です。神がそれらを与えてくださいます。だから今日神に心を向け、耳を傾け、宝物を求めるようにそれらを求めなさいと箴言の知恵の教師は教えるのです。

3月22日のみことば

主は正しい人のために力を、完全な道を歩む人のために盾を備えて、裁きの道を守り、主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる。(箴言2:7~8)

「正しい人」「完全な道を歩む人」とは道徳的に正しく完全というよりも、神の言葉に従って歩みたい、主の慈しみの内にいつも生きたいと願っている人のことです。神はそのような人を見守り、盾となり、力と成功を備えてくださると言うのです。今週もそのような歩みをしたいものですね。

3月20日のみことば

「わたしに聞き従う人は確かな住まいを得、災難を恐れることなく平穏に暮らす」(箴言1:33)

神の教えだけではなく他者の意見にも耳を貸さず、自分の考えだけが正しいと思い、ひたすら自分の道を突き進む人がいます。その行く末がどういうものはおおよそ想像できます。その対極にあるのは、神の言葉に耳を傾ける人です。彼の人生には堅固さと平穏があると箴言は言います。私自身の日々を振り返る時、この言葉が真実であることを実感します。

3月21日のみことば

「…知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。」(箴言2:1~6)

毎日を悔いなく生きるために、直面している困難を堂々と乗り越えるために必要なものは、豊かな知恵と知識であり、将来までも視野に入れた英知です。神がそれらを与えてくださいます。だから今日神に心を向け、耳を傾け、宝物を求めるようにそれらを求めなさいと箴言の知恵の教師は教えるのです。

3月19日のみことば

立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら、見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ、わたしの言葉を示そう。(箴言1:23)

漢和辞典によると「懲らしめ」の「懲」は、「徴」と「心」で成り立ち、意味は少し頭をのぞかせた悪いことを正すことです。心の深みに怒りや憎しみや妬みが生じた時、私たちはすみやかに神のもとに立ち返りましょう。神は霊・恵みの力を注がれます。するとそこに新しい喜びや希望や愛が芽生えてくるのです。

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