3月20日のみことば

「わたしに聞き従う人は確かな住まいを得、災難を恐れることなく平穏に暮らす」(箴言1:33)

神の教えだけではなく他者の意見にも耳を貸さず、自分の考えだけが正しいと思い、ひたすら自分の道を突き進む人がいます。その行く末がどういうものはおおよそ想像できます。その対極にあるのは、神の言葉に耳を傾ける人です。彼の人生には堅固さと平穏があると箴言は言います。私自身の日々を振り返る時、この言葉が真実であることを実感します。

3月18日のみことば

わが子よ、彼らの道を共に歩いてはならない。その道に足を踏み入れるな。…(箴言1:15~19)

この箇所は隣人を窮地に陥れようと企む者への厳しい警告です。「流すのは自分の血」「落とすのは自分の命」「奪われるのは自分の命」、それが彼らの末路だと言います。類似する箴言があります。「悪に蒔く者は災いを刈り取る」(22:8)。私たちは今日も誰かの幸福を祈り、ささやかでも働きたいと思います。

3月19日のみことば

立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら、見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ、わたしの言葉を示そう。(箴言1:23)

漢和辞典によると「懲らしめ」の「懲」は、「徴」と「心」で成り立ち、意味は少し頭をのぞかせた悪いことを正すことです。心の深みに怒りや憎しみや妬みが生じた時、私たちはすみやかに神のもとに立ち返りましょう。神は霊・恵みの力を注がれます。するとそこに新しい喜びや希望や愛が芽生えてくるのです。

3月17日のみことば

「わが子よ/ならず者があなたを誘惑しても/くみしてはならない」(箴言1:10)

「ならず者」とあるが、堕落した政治家、官吏、裁判官、指導者、金持ちなども考えられています。彼らは罪なき人を滅ぼし、その財産を奪います。ローマの元老院カトーは「普通の泥棒が刑務所にいるのに、盗みを働く官吏は尊敬を受けて生活している」と言います。知恵の教師は、これから若者に「決してそういう連中の仲間になってはいけない」と諭すのです。私たちはキリストが教えてくださったように神を愛し、隣人を愛する生き方を選び取るのです。

 

3月18日のみことば

わが子よ、彼らの道を共に歩いてはならない。その道に足を踏み入れるな。…(箴言1:15~19)

この箇所は隣人を窮地に陥れようと企む者への厳しい警告です。「流すのは自分の血」「落とすのは自分の命」「奪われるのは自分の命」、それが彼らの末路だと言います。類似する箴言があります。「悪に蒔く者は災いを刈り取る」(22:8)。私たちは今日も誰かの幸福を祈り、ささやかでも働きたいと思います。

3月16日のみことば

わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。それらは頭に戴く優雅な冠/首にかける飾りとなる。(箴言1:8~9)

優雅な冠、首飾りになる両親の諭しと教え。あなたはどんな冠や首飾りを頂いたでしょか。私の場合は、天地の創造者である神がいますこと、愛に富んだお方であること、日々信頼して今日の務めに誠実に携わること、今苦しくてもやがて春が来るということでした。そう教えてくれた両親に今も感謝しています。

 

3月17日のみことば

「わが子よ/ならず者があなたを誘惑しても/くみしてはならない」(箴言1:10)

「ならず者」とあるが、堕落した政治家、官吏、裁判官、指導者、金持ちなども考えられています。彼らは罪なき人を滅ぼし、その財産を奪います。ローマの元老院カトーは「普通の泥棒が刑務所にいるのに、盗みを働く官吏は尊敬を受けて生活している」と言います。知恵の教師は、これから若者に「決してそういう連中の仲間になってはいけない」と諭すのです。私たちはキリストが教えてくださったように神を愛し、隣人を愛する生き方を選び取るのです。

 

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