3月28日のみことば
3月28日(金)
わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。(詩編103:2)
私たちは神の計らいに気付かないし、気付いても忘れ易いです。しかし神は私たちのために昨日も素晴らしい計らいをしてくださっていたのです。ある時私はある施設に一人の方を訪問しました。「先生にお会いしたいと思っていた」と笑顔で言われ、ご自分が活けた花を見せてくださいました。そこに一人の女性が通りかかり、「踊先生、お久しぶりです」と声をかけられました。20年前西南学院教会で結婚式を挙げた方で、お父様が同じ施設に入所しておられるとのこと。私には単なる偶然とは思えませんでした。もしその時間に来所しなかったらお会いできなかったわけで、私は神の特別の御計らいだと思いました。夜休む時、そんな神の計らいの数々に感謝しました。今日もそんな特別な御計らいに包まれて私たちは歩むのです。
3月29日のみことば
3月29日(土)
主は・・・わたしたちが塵にすぎないことを/御心に留めておられる。(詩編103:14)
親しい友を失った時、命のはかなさを痛感します。詩人は「人の生涯は草のよう。…風がその上に吹けば、消えうせ、生えていた所を知る者もなくなる」と詠んでいます。しかしそんな私たちの命を神は御心に留めておられるのです。神に覚えられている命は決して軽くはありません。尊い命です。今日という日をくださった神に感謝しつつ精一杯生きて美しい花一輪を咲かせましょう。神に献げるために。
3月28日のみことば
3月28日(金)
わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。(詩編103:2)
私たちは神の計らいに気付かないし、気付いても忘れ易いです。しかし神は私たちのために昨日も素晴らしい計らいをしてくださっていたのです。ある時私はある施設に一人の方を訪問しました。「先生にお会いしたいと思っていた」と笑顔で言われ、ご自分が活けた花を見せてくださいました。そこに一人の女性が通りかかり、「踊先生、お久しぶりです」と声をかけられました。20年前西南学院教会で結婚式を挙げた方で、お父様が同じ施設に入所しておられるとのこと。私には単なる偶然とは思えませんでした。もしその時間に来所しなかったらお会いできなかったわけで、私は神の特別の御計らいだと思いました。夜休む時、そんな神の計らいの数々に感謝しました。今日もそんな特別な御計らいに包まれて私たちは歩むのです。
3月27日のみことば
3月27日(木)
イスラエルの神、主をたたえよ/世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ。(詩編106:48)
「アーメン」とは「まことに、真実に」の意、キリスト教の重要な礼拝用語です。神の恵み深さを歌う言葉に対して「アーメン」と唱和するように促しています。次のことも心に留めておきたいです。それは、「アーメン」と唱和する者にその恵みは確かに来るということ。讃美に対し、祈りに対し私たちは心から「アーメン」を唱和する者でありたいです。
3月26日のみことば
3月26日(水)
それぞれの天幕でつぶやき/主の御声に聞き従わなかった。(詩編106:25)
ファラオの圧制から脱出したイスラエルの民は荒野の旅に疲れ、それぞれの天幕でつぶやきました。つぶやきはつぶやきを生み、際限のないつぶやきとなります。神はそのつぶやきを聞かれます(出エジプト16:8、9、12)。つぶやきは祝福をもたらしません。つぶやくことをやめよう。心の方向転換をして神に向かおう。本当の祝福はそこからだけ来るのですから。
3月26日のみことば
3月26日(水)
それぞれの天幕でつぶやき/主の御声に聞き従わなかった。(詩編106:25)
ファラオの圧制から脱出したイスラエルの民は荒野の旅に疲れ、それぞれの天幕でつぶやきました。つぶやきはつぶやきを生み、際限のないつぶやきとなります。神はそのつぶやきを聞かれます(出エジプト16:8、9、12)。つぶやきは祝福をもたらしません。つぶやくことをやめよう。心の方向転換をして神に向かおう。本当の祝福はそこからだけ来るのですから。
3月27日のみことば
3月27日(木)
イスラエルの神、主をたたえよ/世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ。(詩編106:48)
「アーメン」とは「まことに、真実に」の意、キリスト教の重要な礼拝用語です。神の恵み深さを歌う言葉に対して「アーメン」と唱和するように促しています。次のことも心に留めておきたいです。それは、「アーメン」と唱和する者にその恵みは確かに来るということ。讃美に対し、祈りに対し私たちは心から「アーメン」を唱和する者でありたいです。