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「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し…」(ルカ1:68)
「たとえお金がなくても、私は感謝を捧げたい。朝は日の出を見て喜び、夜は月を見て楽し むことができるから」(アーヴィン・バーリン/アメリカの作詞・作曲家)、「この世には美 しい山や谷、静かな湖がたくさんある。草木が生い茂る森林、野花が咲き乱れる平原、白砂に覆われた海岸も各地に点在する。毎日、朝日が昇り、夕日が沈み、夜空には無数の星が輝く。この世にもっとも必要なのは、それを見て楽しみ、感謝を捧げる人たちだ」(マイケル・ショセフソン/アメリカの詩人)。主は喜びをもたらすためにいつもいろいろな仕方で私たちのもとを訪れてくださるのではないでしょうか。
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「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています」(Ⅰテサロニケ1:2)
使徒パウロの書簡にはこれと似た言葉がしばしば出てきます。フィリピ1:3、Ⅱテサロニケ1:3、2:13など。使徒パウロにとって信仰の仲間は神が与えてくださったかけがえのない存在だったのでしょう。彼らの愛と祈りに支えられてパウロの福音宣教は進展していったのです。もし彼らがいなければ…。「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ」(コヘレト4:10)
11月9日のみことば
「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(詩編136:1)
詩編136編は26節までありますが、その各節すべてに「慈しみはとこしえに」という言葉が出てきます。詩編の作者は「英知をもって天を造った方」「大地を水の上に広げた方」「大きな光を造った方」・・・と神の驚くべき大きな働きを記して「感謝せよ」と詠うのです。フランスの宮廷説教家ジャン・バプティスト・マションは「感謝の思いは心に刻まれた記念碑」と言いました。さて私たちの心の庭園にはいくつの記念碑が立っているでしょうか。