11月14日のみことば

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし…」(ルカ  4:18)

エレナ・ポーターの『少女パレアナ』はぜひお勧めしたい一冊です。牧師にとっても優れた「牧会学」のテキストかもしれません。「よかった探し」はパレアナが牧師の父親から学んだゲームです。パレアナは〈喜び方を知らない〉人々(パレ―叔母さん、ペンデルトンさん、ナンシー、フォード牧師、チルトン医師など)に喜びを見出す方法を伝えるのです。見倣いたい姿です。

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「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し…」(ルカ1:68)

「たとえお金がなくても、私は感謝を捧げたい。朝は日の出を見て喜び、夜は月を見て楽し  むことができるから」(アーヴィン・バーリン/アメリカの作詞・作曲家)、「この世には美  しい山や谷、静かな湖がたくさんある。草木が生い茂る森林、野花が咲き乱れる平原、白砂に覆われた海岸も各地に点在する。毎日、朝日が昇り、夕日が沈み、夜空には無数の星が輝く。この世にもっとも必要なのは、それを見て楽しみ、感謝を捧げる人たちだ」(マイケル・ショセフソン/アメリカの詩人)。主は喜びをもたらすためにいつもいろいろな仕方で私たちのもとを訪れてくださるのではないでしょうか。

11月12日のみことば

「わたしの魂に近づき、贖い/敵から解放してください」(詩編69:19)

私たちは様々な事に心を捉えられています。過去の失敗、将来の心配、憎しみ、怒り、嫉妬・・・。そんなことに自分の大切な時間や労力を消耗するのは無駄なこと。今朝も恵みに富む神が私たちに近づき、無駄なものから解放し、新しい希望と力をお与えになります。私たちは目の前の課題に真正面から取り組めばいいのです。今週の歩みが終わる時、きっと驚くほどの恵みに心からの感謝を捧げることになるでしょう。

11月11日のみことば

「言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します」(Ⅱコリント9:15)

「必ず誰かに助けられていますのに、不思議なことですが、この助けてくれている人がよく見えないのが、私たちです。自分が助けている人は見えても、助けてくれている人が見えない、人間の成長が一番遅れているのは、この点です。助けてくれている人が見える、つまり感謝の心です。すべてのことに感謝ができれば、他に何を欠こうとも、人間としては成長を極めていると言ってよいでしょう」(藤木正三牧師)。使徒パウロは宣教の働きを支えてくれたコリント教会を思い出して神に感謝を捧げ豊かな祝福を祈ったのです。パウロは真に感謝の人でした。

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「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています」(Ⅰテサロニケ1:2)

使徒パウロの書簡にはこれと似た言葉がしばしば出てきます。フィリピ1:3、Ⅱテサロニケ1:3、2:13など。使徒パウロにとって信仰の仲間は神が与えてくださったかけがえのない存在だったのでしょう。彼らの愛と祈りに支えられてパウロの福音宣教は進展していったのです。もし彼らがいなければ…。「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ」(コヘレト4:10)

11月9日のみことば

「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(詩編136:1)

詩編136編は26節までありますが、その各節すべてに「慈しみはとこしえに」という言葉が出てきます。詩編の作者は「英知をもって天を造った方」「大地を水の上に広げた方」「大きな光を造った方」・・・と神の驚くべき大きな働きを記して「感謝せよ」と詠うのです。フランスの宮廷説教家ジャン・バプティスト・マションは「感謝の思いは心に刻まれた記念碑」と言いました。さて私たちの心の庭園にはいくつの記念碑が立っているでしょうか。

11月8日のみことば

「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」(エフェソ5:20)

良かったことだけ感謝しなさいとは言っていません。「あらゆることについて」です。使徒パウロはⅠテサロニケ5:18でも同じことを言っています。「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。パレアナは可愛いお人形を求めたのに手元に届いたのはなんと杖でした。最初彼女は喜べませんでした。けれども歩いたり走ったりできる足を神様がくださっていることに改めて気づいて喜んだのでした。

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