11月21日のみことば

「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」(エフェソ4:29)

使徒パウロの勧めに共鳴する神学者イェルク・ツィンクの言葉が私の心で響いています。「沈黙するとは決して口をきかないということではなくて、饒舌をやめ、自分が明白に『聴いた』ことだけを発言するという意味です」。人の心から出てきた言葉はしばしば人を傷つけます。けれども長い沈黙の中で心の深みに届いた神の言葉は人を優しく癒すことができるのではないでしょうか。

11月20日のみことば

「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。…』」(使徒23:11)

福音宣教の途上で使徒パウロはさまざまな労苦を経験しました。それでも働きをやめようとはしませんでした。復活の主イエスがそばにいて力づけてくださったからです。愛弟子テモテにもそう伝えています。「主はわたしのそばにいて、絶えず力づけてくださいました」(Ⅱテモテ4:17)。神学者イェルク・ツィンクは「どうか私のそばにいて下さい。来る日も来る日も、私があなたのそばにいることができるように」と祈ります。勇気も希望も喜びも、そして力も全て主イエスから来るのですから。

11月19日のみことば

「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(Ⅰペトロ5:7)

先週はどのような一週間でしたか。もし次から次に問題が起きた日々てあったのなら、身も心もくたびれたでしょうね。でも今日は主の日、私たちを愛し祝してくださる神の御前に荷をおろして憩うことにしましょう。「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい」と記されています。大小の問題「何もかも」です。神学者イェルク・ツィンクは「神よ、あなたの両手の中に、私は気がかりも疑いも不安も預けます」と祈っています。

11月18日のみことば

「神の祭壇にわたしは近づき/わたしの神を喜び祝い/琴を奏でて感謝の歌をうたいます。神よ、わたしの神よ」(詩編43:4)

「『ありがとう』ということは、誰にとっても最高の祈りである」(アリス・ウォーカー/アメリカの作家)、「たとえ生涯にささげた唯一の祈りが『ありがとう』と言うことだけだたっとしても、それで十分である」(マイスター・エックハルト/中世の神学者)。人生に一つも感謝することがないなんて、あり得ません。事実私たちはそれぞれの人生で数えきれないほど多くの恵みを頂いているからです。今週も多くの人から、何よりも神から頂いた恵みを数え感謝を捧げましょう。(コキアで作ったほうきが飾ってありました)

11月17日のみことば

「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」(フィリピ2:14)

不平や愚痴は感謝の心からは生じようがありません。感謝したいと思うなら、日々の生活を注意深く見直す必要があります。『感謝の習慣』の著者スコット・アランは、「朝の感謝のリスト」を作り、毎朝起きた時に感謝することを5つ書き出す、「夜の感謝のリスト」を作り、その日の楽しかった出来事を5つ書き出そうと提案しています。このリストは気持ちが落ち込んだ時に読み返してみると大変効果的だと言うのです。私の場合は「祈りのリスト」です。時折読み返してみると、神さまが確かに応えてくださった恵みが沢山あることに気づかされます。

11月16日のみことば

「いつも喜んでいなさい」(Ⅰテサロニケ5:16)

『少女パレアナ』の続き。チルトン医師は気欝なペンデルトン氏の看護人にこう言います。「きみは知らないだろうけど、あの子は強壮剤をひと瓶のむより効くんだよ。今日のペンデルトンのふきげんを直すにはあの子にかぎるんだ」。「なるほど! で、そのふしぎな効き目のある強壮剤の特別な成分はどんなものなんですか」と尋ねる看護人に、「さてねえ、…ぼくの理解するところでは『ただ喜ぶ』というのが主成分らしいな」とチルトン医師。喜ぶことは自分自身だけではなく、周囲の人々にも良い影響を及ぼす大きな力を持っているのです。

11月15日のみことば

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4:4)

パレアナの父親、ジョン・フィディア牧師は「聖書の中には〈喜ぶ〉とか〈楽しむ〉という言葉が800回も出てくる」「神さまは私たちが心の底から喜び楽しんで生きることを望んでおられるのだ」とパレアナに教えます。以来「よかった探し」のゲームはこの少女の原動力になるのです。彼女は出会う人々にゲームの楽しみと力を語り、やがて町中の人がこのゲームに興じるようになるのです。パレアナはまさに喜びの伝道師のようです。

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