12月5日のみことば

「このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。…』」(マタイ1:20)

「ひそかに縁を切る、これしか道はないのだ」と何度も自分に言い聞かせ、「明日こそはマリアにこのことを伝えよう」と決断するヨセフ。そんな彼に主の天使が現れたのです。「ダビデの子ヨセフ」、なんと仰々しい呼びかけでしょう。確かに彼はダビデ王の末裔ですが、今では栄光のひとかけらさえありません。しかし天使のこの呼びかけは彼の眠っていた誇りを呼び覚まし、心の深みに静かな覚悟を生じさせたのでした。

12月4日のみことば

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1:18~19)

マリアから受胎の事実を知らされたヨセフの驚き! 「聖霊によって」と言われても俄かには信じられません。彼女の身に何か起きたのか?  彼女は自分を裏切ったのか? 様々な思いの堂々巡りの末にたどり着いた結論はひそかに縁を切ること。そういう仕方でマリアを守り、自分を守る…。けれどもそれは神の考えでも計画でもなかったのです。

12月3日のみことば

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」(マタイ1:18)

イエス・キリストの誕生物語はマタイ福音書とルカ福音書にだけ記されています。内容はそれぞれ異なり、ルカはマリアについて記し、マタイはヨセフについて記しています。今週はヨセフについてじっくり順を追ってご一緒に考えたいと思います。ヨセフは寡黙ですが、神に対する堅固な信仰の持ち主であり、マリアに対して深い愛を持った人でした。

12月2日のみことば

「見よ、わたしはあなたと共にいる。…わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(創世記28:15)

これは神がイスラエル第3代の族長ヤコブに対してお与えになった約束です。この約束は彼だけではなく、神を信じるすべての人々に対する約束でもあります。「本物の約束は暗黒のなかの光となる。この約束が現在の中に植えつけられている」(神学者K.バルト『クリスマス』)。今私たちは厳しい状況にあるかもしれません。しかしその真っ只中に神は豊かな祝福を伴う約束をしっかりと植えつけてくださるのです。その約束は必ず実現します!

12月1日のみことば

「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である」(マタイ1:17)

紀元1世紀、ユダヤの人々はローマ帝国の圧政に苦しんでいました。「ローマの平和」、それはローマ人だけの《平和》であり、支配される人々にとっては《抑圧》以外ではなかったのです。人々は救い主の到来を待ち望んでいました。「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち…」(イザヤ11:1、11:10、ローマ15:12)。イエスはまさにこのダビデの子孫、エッサイの若枝として誕生されたのでした。

11月30日のみことば

「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる」(エレミヤ33:14)

神はご自分の民に約束をお与えになります。人間同士の約束はしばしば破られますが、神は約束を必ず守られるのです。事実紀元前587年に始まったバビロン捕囚は70年を経ずに紀元前538年ペルシャ帝国によって解放されました。彼らは祖国に帰還して廃墟となったエルサレム神殿の再建に取りかかります。捕囚という苦難の中で人々は「成就していない約束を信仰によって握りしめていた」(K.バルト『クリスマス』)のです。神の約束こそ力です。

11月29日のみことば

「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である」(マタイ1:17)

ダビデによって国は堅固になり、その子ソロモンの代に繁栄を極めました。しかしその後南北に分裂、北は紀元前721年アッシリア帝国によって、南は紀元前587年にバビロン帝国によって滅ぼされました。その原因は神への背反でした。それでも神は恵みの約束をお与えになったのです。「バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」(エレミヤ29:10)。

 

TOP