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9月14日のみことば

涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。(詩編42:2~3)

私たちの時代は魂の渇いている時代です。物を持っても、富を持っても魂の渇きは癒やされません。まるで塩水を飲んでいるように、持てば持つほど渇きは激しくなります。魂の渇きは神の愛によってだけ癒やされるのです。自分は神によって愛されていると気づいた時に、初めてこの渇きは癒されます。礼拝は魂の渇きを癒す場、自分という存在の尊さに改めて気づかされる場、私が私らしく生き生きと生き始める場なのです。

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