答:いいえ。それだけでは私たちの信仰生活は、多く受け身にとどまること
になります。私たちは祈らねばなりません。祈りによって、私たちの方
から本当に神を求め、事実神を信じていることを表すのです。
信仰生活の心棒としての礼拝
礼拝を軽視する信仰生活はありえない。それは不健康な信仰生活に陥る最短の道です。「去年今年貫く棒のごときもの」高浜虚子。礼拝こそ生涯を貫いている心棒です。
説教を聞くことの大切さ
礼拝は多くの要素で成り立っていますが、基本的要素は招きの時、み言葉の時、応答の時、派遣の時。み言葉の時は主に聖書朗読と説教で成り立っています。聖書朗読は神の言葉が読まれるのですから、もっとも真剣な態度で耳を傾けるべきです。説教はそのみ言葉の説き明かしです。それを聞くことが基本的に大切です。使徒パウロはローマ10:14~17で「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」と言っています。
応答としての祈り
関西学院大学で神学を講じておられた松村克己先生の著書に『交わりの宗教』があります。神と人との交わり、それによって固くされる人と人との交わりです。この交わりを可能にするものは言葉です。神からの言葉、そして祈りという私たちの言葉。この祈りは私たちが「本当に神を求め、事実神を信じていることを表す」のです。松木治三郎先生も関西学院大学神学部の教授でしたが、「バプテスマを受けることができるかどうか、それはその人が心から祈ることができるかどうかにかかっている」と言われました。真の祈りは神への信頼があってはじめて可能になります。
私は毎朝神に祈るのが喜びです。「天の神様、今朝もこうしてあなたにお話しできることを感謝します。あなたが私の祈りに耳を傾けてくださっていることを心から感謝します」という言葉で始まっています。あなたも祈りをなさってみてください。心に静かな喜びと力が沸き起こってくるのをお感じになるにちがいありません。
ヴァルター・リュティ『あなたの日曜日』に記されている「森の中での主の祈り」はとても印象深いものです。長くなりますが関心のある方はお読みください。
しばらく前、親しくしていた80才ほどの鍛冶屋が亡くなりました。この人は家政婦の婚外子として育ちました。わずかばかりの固いパンをかじり、したた かに棒でなぐられ、悪態や卑猥な話が絶えず飛び交う環境の中で大きくなりました。もしも信心深い隣の奥さんが、火中から燃える薪を取り出すように、この小さな子を母の虐待から引き出さなかったなら、彼は身も心も駄目になっていたしょう。
しかし婚外子として生まれたこの人は…奇跡的に助けられていきました。年少の頃から神の御言葉に強く魅きつけられ、すぐれた教会員となりました。不思議な神の恵みによって、この人はのちに有能な職人となり、誠実な夫となり、また多くの子供を見事に教育しました。
この人が亡くなって二、三週間後に…息子の一人で、アカデミー会員となっている人物に会いました。…その人は父親の生涯の一こまをそっと教えてくれました。子どもが小さい頃、彼は日曜日の礼拝後などにはみんなをシュヴァルツヴァルトへ連れて行ってくれました。…それは、一週間、働きづめの父親に子どもたちが存分に甘えられる時でした。父親は何でも知っていて、驚くほど博識で、創造の不思議なみわざに子どもたちの心を開かせてくれました。「しかし教わったことはこのような実用的なことだけではありません。私や妹たちがこの散歩で決して忘れられないのは、ある珍しいことなのです。何回か、あるいは全部で六回ぐらいだったかもしれません。…父はある異様なものに触発されて、モミの木の下にじっと立ち、帽子を両手に持って、『わが子たちよ、祈ろうじゃないか』と言うのでした。そして私たちはそこで一緒に主の祈りをさ さげたのです。」
初老にさしかかったその博士は、それからさらに続けて語りました。「私は研究生活に入った後は次第に教会から離れていきました。しかしシュヴァルツヴ ァルトのモミの木の下で祈る父の姿を今日改めて思い浮かべると、自分は生涯かけても決して父のようになれそうもありません。それが何かわからないのですが、父が生涯を通して幸いにも持ち続けられたあの本質的なものが自分には欠けているからです。父の苦しみの数か月間、またその臨終の夜をつき添いながら、私は自分の人生について、しばしば幾度も考えざるを得ませんでした。そして、そういうふうに考え続ける時に、思いはいつも常に繰り返して、あのシュヴァルツヴァルトのモミの木の下で経験した不思議な瞬間へ行き着き、そこで立ち尽くすのです。」
博士である息子が鍛冶屋の父親のもとで見た事がら、また自らが感じていた自分に欠けている事がらというのはいったい何でしょうか。暗い少年期に、明るく強くその生涯を照らした日曜日の祝福だと言ってはいけないでしょうか。かつて聞かされた御言葉の祝福にそのような力が込められていて、少年期の思い出がはるかに遠のき、そのなごりがほとんど認められなくなった時も漠然と した形で存在し続け、時としては逆らい難く「異様なものからの触発」のようにそれが作用したのではないでしょうか。神の御言葉の祝福はかくも強烈で、それゆえ、かつてシュヴァルトヴァルクのモミの木の下で六回ほど耳にした、しかも教会の礼拝から遠いところで祈られた主の祈りが、今では教会から離れている息子に何事かを考えさせているのです。そこから流れ出て世界を巡る川の流れに比べれば、泉というものは、なんと隠されていることでしょう。キリスト教会の礼拝というものは、なんと隠され,見栄えのしないものでしょう! しかし御言葉のもとにあるわずかな日曜日の時間に込められた泉の働きは、世界的な広がりを持っていて、その時間的・場所的な豊かさの点では計り知れないものがあります。世界の歴史を作り出すなんと多くの個人や働きが、その「発火点」を、静かな礼拝のひとときの中、すなわち天からの火花が貧しい者や見栄えのしない者たちの教会に天下るその場所に見出していることでしょう!日曜日、神の御言葉のもとに来るようにと教会の鐘が呼びかけます。祝福を千代にまで及ぼす神の御言葉のもとに来るようにと呼びかけます。安息日を駄目にしてはなりません。安息日には祝福があるのです。