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「聖書と私」私の父は牧師でしたから幼い頃から聖書が身近にありました。けれども聖書を自覚的に読み出したのは18才、大学受験に失敗した時でした。初めて自分の意志で聖書を開き、大学生時代に本気で読みました。友人はそんな私に「聖書なんか読んでると太宰治みたいに死にたくなるぞ」とからかいました。しかし聖書は

主の晩餐に与る恵み

「主の晩餐を守る」マルコ14:12以下には、主イエスが十字架に架かる前に弟子たちと守られた最後の晩餐のことが記されています。弟子たちと初代教会にとってこの晩餐は決して忘れられない意味を持つものとなりました。第1に、この晩餐は主イエスが弟子たちと守りたいと願われ、準備なさったものでした。第2に、

九州バプテスト神学校での学び

九州バプテスト神学校、これは働きながら聖書を学ぶ場です。4月1日(火)午後6時半より大名クロスガーデンで入学式が行われました。通学と通信(インターネット、DVD)による学びです。私も新約聖書概論を教えています。テキストはゲルト・タイセンの『新約聖書』、ゆっくりていねいに読んでいます。新約聖書って

ささげます、主よ

「ささげます、主イエスよ」マルコ一四章には、ベタニアという村で主イエスの頭に非常に高価な香油を注いだ女性のことが記されています。この物語は新約聖書の四福音書全てに記されています。ということは初代教会においてこの出来事は大切な物語であることを示しています。最初弟子たちはこの行為を無駄遣いだ、それだ

イエスを熱心に信じることができるように

「主に信頼する者となる」箴言22:17~19の言葉です。耳を傾けて賢人たちの言葉を聞け。わたしの知識に心を向けよ。それをあなたの腹に納め、ひとつ残らず唇に備えておけば喜びを得る。あなたが主に信頼する者となるように、今日、あなたに教えを与えよう。 私たちが耳を傾けて聴くべき言葉は、歴史の検証を経

主の働きを担う者

「ヨハネ福音書―主の働きを担う者」紀元1 世紀の教会を取り巻く状況は厳しいものでした。政治的にはローマ帝国による迫害があり、思想面ではグノーシスという偽りの宗教思想に直面していました。激流の時代を生き抜き、成長するために教会には三人の代理者が立てられていました。愛弟子ヨハネ、聖霊、そしてペトロです

ここに賛美が沸き起こる

「ここに賛美が湧き起る」詩編102編19節に「主は賛美するために民を創造された」と記されています。私たちは神を賛美するためにここに存在します。ところで教会音楽とはどのようなものでしょうか。フランクリン・M・ゼグラーとランドル・ブラッドリーの『キリスト者の礼拝 神学と実際』には次のように記されて

からし種のように

「からし種のように」主イエスは神の愛を印象的に伝えるためにたとえ話をお使いになりました。誰でもよく分かる、一度聞けば心に残る、しかも思い出す度に新鮮によみがえる話なのです。その一つが「からし種のたとえ」です。神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものであ

神の国は近づいた!

「主イエスが教えたこと」主イエスの先駆者としての役割を担っていたヨハネがヘロデ・アンティパスに捕えられた後、主イエスは故郷ガリラヤで福音宣教を開始されました。時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコ1:15)「時は満ちた」とは人間の都合による「時」ではなく、神の計画

バプテストの群として

「われらバプテスト」1963年に出版されたN・H・メアリング、W・S・ハドソン共著『バプテスト教会の形成』という書物は、現代においても読む価値のあるものです。そこには次のような言葉があります。教会はキリストの御名によって礼拝し、証しし、教え、仕えるために召された民の群れなのである。教会がこ

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