箴言ところどころ③
自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開く者は滅びる。(箴言13:3)口を開いて語る前によく考えることが知恵である。人は黙ることを学ばねばならない。これは支配者や暴君の前ではとくに重要である。気安さや口の軽さは決してほめられたことではない。知恵ある人はひたすら自己を抑制する。
自分の口を警戒する者は命を守る。いたずらに唇を開く者は滅びる。(箴言13:3)口を開いて語る前によく考えることが知恵である。人は黙ることを学ばねばならない。これは支配者や暴君の前ではとくに重要である。気安さや口の軽さは決してほめられたことではない。知恵ある人はひたすら自己を抑制する。
「わたしの家はいのりの家」マタイ21 章には主イエスがエルサレムで「宮清め」をされたことが記されています。 当時エルサレム神殿には両替人や鳩を売る者がいました。なぜ両替人がいたのでしょうか。それは流通していた通貨はローマのデナリオン銀貨やギリシャのドラクメ銀貨でしたが、エルサレム神殿に献
「知恵ある人の舌は癒す」箴言12:18の言葉です。類似した言葉が箴言12:25にあります。「親切な言葉は人を喜ばせる」。言葉は小さな器で、時には無力にも感じます。どんな言葉を語っても相手が耳と心を塞いでしまったらおしまいです。でも反対に、相手が心を開いて聞いてくれたら、その小さな言葉が大きな素晴
「子ろばに乗って」マタイ21章には主イエスが子ろばに乗ってエルサレムへ入城されたことが記されています。これは何を意味するのでしょうか。ピーター・ミルワード『聖書の動物事典』によると、馬は高貴な動物で、壮観な騎馬行進にはなくてはならぬ存在ですが、ろばは低俗で大衆の嘲笑の的のように思われてい
「思慮深い人は知識を隠す。愚かな心はその無知を言いふらす」旧約聖書にある「箴言」はとても興味深い文書です。イスラエルの知恵の教師が伝えた人生訓、現代に生きる私たちにこそ有益です。それで今日から折にふれてご紹介したいと思います。とりあえず第1回目は箴言12章23節の言葉。「思慮深い人は知識を隠す。
「受難節を前にして」イエス・キリストの死と復活は初代教会の中心的出来事であり、これを除いてはキリスト教の成立も存在もありません。私たちはこの時をどのような思いで過ごせばよいでしょうか。クリスマスは固定祝日で12月25日ですが、イースター(復活日)は移動祝日で、「それぞれの年の春分日の直後
「われらバプテスト」「バプテスト」という教派はどのような特色を持っているのでしょうか。「私たちはバプテストですから」と自嘲的に言う人は「何でもありの教派」と考えているかもしれません。また他教派より自分たちの方が優れていると唯我独尊的な考え方をする人もいます。私はそのいずれをも採りません。
「心に喜びを与え」私たちは皆喜びに満ちる幸福な生活を求めています。哲学者三木清は『人生論ノート』の中で次のように述べています。疑いもなく確かなことは、過去のすべての時代においてつねに幸福が倫理の中心問題であったということである。・・・幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても
「執事を選ぶということ」私たちは次週総会において執事を選出します。この一週間、主が相応しい方を示してくださるよう静かに祈りましょう。執事の資質については使徒言行録六章に「御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人」「信仰と聖霊に満ちた人」とあり、テモテへの手紙Ⅰ三章八節以降にさらに詳しく記されて
「なぜ怖がるのか」ガリラヤ湖畔は主イエスの活動の中心地、そこ多くの御言葉が語られ、多くの奇跡が行われました。主の言葉は人々の心に深く刻まれ、奇跡はそれを目撃した人の生活に深く刻まれました。マルコ福音書四章の突風を静めた奇跡もその一つです。弟子たちが乗った舟は突然の嵐に転覆しそうになりました。