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ゆっくりていねいに

「ゆっくりていねいに」聖学院大学が発行した冊子「子どもの心にそっと寄り添う―被災地の子どものケア」を取り寄せて読みました。窪寺俊之先生、阿久戸光晴先生、姜尚中先生、秋山淳子先生のそれぞれの文章は心に響くものでした。(姜尚中先生は3月まで東京大学大学院教授でしたが、今年4月からは聖学院大学教授に就

箴言ところどころ⑦

貧しい人の耕作地に多くの食糧が実っても、正義が行われなければ奪われる。(箴言13:23)岩波訳聖書では「貴人の開墾地には、多くの食料がある。だが、奪い去られることがある、公義がないために」と翻訳されています。「貧しい人」か「貴人」か、いずれが正しいのかは旧約聖書の専門家に任せるとして、私には

復活の意味すること

「復活の意味するもの」十字架と復活はキリスト教の中心です。使徒パウロは「わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える」、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」と言っています。十字架は何を示しているでしょうか。人間の罪深さ、主イ

十字架の意味するもの

「十字架の意味するもの」十字架はキリスト教の大切なシンボルですが、元々はローマ帝国が逃亡奴隷や反乱者に行った刑罰です。十字架は当時の人々にとって無力さと愚かさと神の呪いの象徴でした。キリスト者にとっても当初は十字架は越えがたい躓きでした。しかし彼らは主イエスの言葉と旧約聖書に導かれながら

箴言ところどころ⑥

 「賢人の教えは命の源。死の罠を避けさせる」(箴言13:14)ある本にこう書いてあります。「はえが蜘蛛の糸にかかるように、人は死の罠に突然捕えられる。み言葉の働きがなければ、捕虜、貧困、奴隷の罠に陥り、途方にくれる。知恵のおかげで人は生きる道を学ぶ」と。ジョン・オクセンハイムという人

香油と銀貨

「香油と銀貨」 マタイ26章には一人の女性が主イエスに香油を注いだ話と、イスカリオテのユダが主イエスを銀貨30枚で売り渡した話が記されています。この二つを並列して読むと、福音書記者の意図が一層はっきりしてきます。ベタニアで無名の女性が主イエスの頭に高価な香油を注ぎました。この女性の主への

箴言ところどころ⑤

高慢にふるまえば争いになるばかりだ。勧めを受け入れる人は知恵を得る。(箴言13:10)高慢な人とは、自分は何でも知っていて、もはや何も学ぶ必要を感じない人のこと。こんな人との付き合いは正直面倒だ。様々な争いの背景にはきまって高ぶりがある。謙遜な人は他者の愛ある忠告に耳を傾け、正しいやり方で問

一粒の麦、地に落ちて死なずば

「一粒の麦、地に落ちて死なずば」 福音書は、長い序文を持った受難物語である(マルティン・ケーラー)と言われます。イエス・キリストの十字架上での死と、その後の復活顕現という聖書が語る証言に、わたしたちの救いの根拠が示されています。その意味で、十字架はキリスト教信仰の原点でもあります。「十字架の神学

箴言ところどころ④

富んでいると、見せて無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。(箴言13:7)人は実にいろいろですね。お金持ちのように見えて実は貧しく、貧しそうに見えて実は豊かである人もいます。人は外見だけは判断できません。外見と実際は逆の場合があり、外見だけで判断すると失敗しがちです。使徒

考え直す

考え直すことの大切さマタイ21章には「二人の息子」のたとえが記されています。父親には二人の息子がいます。ぶどう園の仕事が忙しかったのでしょう、父親は二人に協力を要請します。ところが兄の方は「いやです」と答えて協力を拒否しますが、後で考え直して出かけます。弟の方は実に気持ちよく「お父さん、承知しま

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