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「すべての母に祝福あれ」

故河野進牧師は詩人でもあり、母についての美しく優しい詩を50年以上も作り続けたました。      「いつでも」  お母さんの詩は  不思議に  うれしく作れます  二十才の頃も  八十才の今も  お母さんの詩を  作るときは  いつもこどもに返ります   

「聖書と私たち」

主イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言われました。旧約の預言者アモスは「わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく/水に渇くことでもなく/主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」(アモス8:11)と語りました。心の飢え渇きを本当に癒すも

「イエスの復活の意味」

主イエスは十字架上にお亡くなりになりましたが、その十字架は何を告げているのでしょうか。第一に神の存在を否定し罪を重ねる人間の姿です。「神を知らぬ者は心に言う、『神などない』と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする」(詩編53:2)。神を否定する人間は平気で罪深いことをしがちです。第二に主の愛の

「イエスの十字架の意味」

十字架は最も過酷な刑罰でした。ローマ帝国は逃亡奴隷や反逆者に対してこれを執行しました。主イエスの十字架には「これはユダヤ人の王」という札がつけられており、ローマへの反逆者として処刑されたのです。ローマの哲学者セネカはこう言っています。「一瞬の内に息を引き取るよりも、拷問の責苦の中で衰弱し、徐

「バプテスマと主の晩餐」

問 主の晩餐について学びましょう。礼拝の中でも特に主の晩餐が重んじられるのですね。答 教会は、その初めから主の晩餐をまもるために集まりました。一度限りのバプテスマが、主の晩餐によってくり返され、バプテスマの意味が新しく生き生きと経験され、確かめられるのです。それですから、主の晩餐は私たちの信

「イエスとニコデモ」

宗教改革者マルティン・ルターはヨハネ福音書3章の講解において「人は良い歌は二度歌う」「人は王や君侯の手紙は二度、三度と繰り返し読むべきである」「聖書の言葉は繰り返し熱心に聞かなければならない」と言っています。主イエスとニコデモの間でなされた新生問答もその一つです。ニコデモが主イエスのもとにやって

「わたしの家はすべての民の祈りの家」

主イエスが商人たちをエルサレム神殿から追い出された出来事はすべての福音書に記されています。なぜ主は宮清めをなさったのでしょうか。当時のエルサレム神殿の構造を見ますと、最も外側に異邦人の庭、その内側に女性の庭、イスラエル男性の庭、祭司の庭、最も奥に至聖所がありました。異邦人の庭と神殿造営物の間

「主の慈しみに目を注ごう」

詩編123編2節に心を捉えられます。特に繰り返し出てくる「目を注ぐ」に注目したいのです。「御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎはしためが女主人の手に目を注ぐようにわたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ憐れみを待ちます。」神学者E・H・ピーターソンも『牧会者の神学』の中で、〈祈り・聖書理

「パウロの祈りを私たちも」

讃美歌作家、パスカル研究者のとして知られた由木康先生は、日本基督教団東中野教会の主任牧師として50年、引退後名誉牧師として14年働かれました。日本における讃美歌の第一人者で、『讃美歌21』には先生の作詞訳詞のものが10曲以上あります。私が最初に読んだ由木先生の本は『キリスト教の基本線』であり、2

「之に忠実ならんことを」

ルカ福音書の著者は、御子誕生の知らせを最初に受けたのはベルレヘムの羊飼いたちで、それを告げたのは天使であったと記しています。恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。(ルカ2:10~11)

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