12月2日のみことば

「無知な者を臼に入れて/穀物と共に杵でついても/無知は彼を去らない」(箴言27:22)

穀物の穂を臼に入れ、杵で打つことで脱穀されます。そうすることで食べられないもみ殻の部分が取れます。しかし知恵の教師は、学ぼうとしない頑固さ、怠惰さ、その無知は容易には取れないと嘆くのです。マタイ23:37には主イエスが悔い改めようとしない人々に対して嘆かれる言葉が記されています。「ああ、エルサレム、エルサレム、…ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」。主イエスの教えに対する素直さが大切です。

12月3日のみことば

「悪を行う者らは裁きを理解しない。主を尋ね求める人々はすべてを理解する」(箴言28:5)

私たちは聖書の中に神の意志、神の愛、神の力を探します。そこから心を逸らすと、無益なものに心を支配され、大切なものが見えなくなってしまいます。神の言葉が秩序ある生活を可能にするのです。仮に今厳しい状況にあっても、私たちはその中に神の導く確かな道を見出しますし、前途に大きな祝福があることを確信できるのです。

12月1日のみことば

「銀にはるつぼ、金には炉。人は称賛によって試される」(箴言27:21)

るつぼや炉の中で金や銀は不純物を分離します。人の価値は人々のほめそやす言葉によって試されます。以前には「褒め殺し」ということも言われました。私たちが求めたいものは人の称賛ではなく、キリストの「良い忠実なしもべ」という一言です。長崎で自身被爆しながら被爆者の救済に当たった永井隆博士の墓碑には、「我は無益のしもべなり、なすべきことをなしたるのみ」という聖書の言葉が記されています。その前に立った時私は、永井博士はキリストから「よくやった、良い忠実な僕」と言われたにちがいないと思いました。私たちも生涯の終わりにこの一言を頂けたら、これにまさる幸いはありませんね。

12月2日のみことば

「無知な者を臼に入れて/穀物と共に杵でついても/無知は彼を去らない」(箴言27:22)

穀物の穂を臼に入れ、杵で打つことで脱穀されます。そうすることで食べられないもみ殻の部分が取れます。しかし知恵の教師は、学ぼうとしない頑固さ、怠惰さ、その無知は容易には取れないと嘆くのです。マタイ23:37には主イエスが悔い改めようとしない人々に対して嘆かれる言葉が記されています。「ああ、エルサレム、エルサレム、…ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」。主イエスの教えに対する素直さが大切です。

11月30日のみことば

「陰府も滅びの国も飽き足りることがない。人間の目も飽き足りることがない」(箴言27:20)

陰府と滅びの国とは死者の国、これまで多くの人を飲み込んだにも拘わらず、飽くことなくそこへ来る人を求めています。同様に人間の目の欲望も決して満足しません。「富を求める者は塩水を飲むようなもの」。塩水を飲めばもっと真水が飲みたくなる、それと同じように富を持てばもっと欲しくなるのです。主イエスは「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」(ルカ10:42)と言われました。まず求めるべきは、神と神の言葉、それこそ私たちに真に必要なものです。

12月1日のみことば

「銀にはるつぼ、金には炉。人は称賛によって試される」(箴言27:21)

るつぼや炉の中で金や銀は不純物を分離します。人の価値は人々のほめそやす言葉によって試されます。以前には「褒め殺し」ということも言われました。私たちが求めたいものは人の称賛ではなく、キリストの「良い忠実なしもべ」という一言です。長崎で自身被爆しながら被爆者の救済に当たった永井隆博士の墓碑には、「我は無益のしもべなり、なすべきことをなしたるのみ」という聖書の言葉が記されています。その前に立った時私は、永井博士はキリストから「よくやった、良い忠実な僕」と言われたにちがいないと思いました。私たちも生涯の終わりにこの一言を頂けたら、これにまさる幸いはありませんね。

11月29日のみことば

「水が顔を映すように、心は人を映す」(箴言27:19)

水に映る自分の顔、そこに映っているのは自分の外面、しかも不十分にしか映っていない外面です。もし彼が本当の自分の姿を知りたいのなら、鏡ではなく内面を見なさいと、知恵の教師は言うのです。マルコ福音書7章20~22節には、「人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである」と記されおり、その根源に神への背反(原罪・的外れ)があります。三浦綾子さんの『氷点』はそれを取り扱った作品。森下辰衛先生の『「氷点」解凍』(小学館)もご一読ください。

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