12月9日のみことば

「指導者に英知が欠けると搾取が増す。奪うことを憎む人は長寿を得る」(箴言28:16)

豊かな者の心から簡単に消えてなくなるものは、貧しい者への共感、想像力です。貧しい者の気持ちを理解できる心です。アルバート・シュバイツァーは8歳の時、父親から新約聖書をもらい、それを熱心に読んだそうです。彼の興味を最もひいたのは、ヨセフとマリアが東方の博士たちからもらった黄金、乳香、没薬の贈り物はその後どうなったのだろうか、ということだったそうです。皆さんはどうお考えになるでしょう? 分かち合う喜びを知っていた彼らは、自分たちと同様の貧しい人々にも分ち合ったのではないか、と私は思いました。

12月10日のみことば

「自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。空を追う者は乏しさに飽き足りる」(箴言28:19)

ギリシャ人は労働は奴隷の仕事であり、そういうことをしないことこそ自由人の生き方であると考えました。しかし知恵の教師は、美しい衣服、優雅なヘアスタイル、祝宴での陶酔、路上でのおしゃべりなどは空しく、無益で、将来のない生き方であると言います。神はエデンの園でアダムとエバに動植物の世話をするという務めをお与えになりました。それは彼らにとって喜びであり、一日が終わる時、彼らの心は充実感に満たされたにちがいありません。

12月8日のみことば

「いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に陥る」(箴言28:14)

箴言1:7には「主を畏れることは知恵の初め」とありました。「恐れる」「畏れる」は神を神として信頼し敬うこと。それは真の幸福の出発点です。「心の頑な者」とは神に信頼せず、隣人に対し傲慢に振舞う者です。木村文太郎先生(当教会8代牧師)は『ローマ人への手紙』の中で「神を恐れなくなれば、神と真理に対する無感覚が始まる。真偽、善悪、美醜の区別は失せて、残るのは利害感覚と快不快の情欲のみとなる。そして生活は放縦となる。」と書いています。彼らの前途に待ち構えているものは大きな苦難以外ではないでしょう。

12月9日のみことば

「指導者に英知が欠けると搾取が増す。奪うことを憎む人は長寿を得る」(箴言28:16)

豊かな者の心から簡単に消えてなくなるものは、貧しい者への共感、想像力です。貧しい者の気持ちを理解できる心です。アルバート・シュバイツァーは8歳の時、父親から新約聖書をもらい、それを熱心に読んだそうです。彼の興味を最もひいたのは、ヨセフとマリアが東方の博士たちからもらった黄金、乳香、没薬の贈り物はその後どうなったのだろうか、ということだったそうです。皆さんはどうお考えになるでしょう? 分かち合う喜びを知っていた彼らは、自分たちと同様の貧しい人々にも分ち合ったのではないか、と私は思いました。

12月7日のみことば

「罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける」(箴言28:13)

諺に「白状した罪は半ば許されている」とあり、モンテーニュは「勇気のある自発的な告白は非難の矛先を和らげ、侮辱の筒先を取り除く」と言っています。人間の世界でそうなら、神においてはなおさらではないでしょうか。聖書で言う「罪」とは的外れのこと。三浦綾子さんは『続氷点』の中で「まっすぐに歩いたつもりでも…足跡が曲がってついている…」と言っています。それに対し「悔い改め」とは方向転換のこと、神に向かって正しく生き始めることです。私たちの人生にはわが身を静かに見直す時が必要なのです。

 

12月8日のみことば

「いかに幸いなことか、常に恐れを抱いている人。心の頑な者は苦難に陥る」(箴言28:14)

箴言1:7には「主を畏れることは知恵の初め」とありました。「恐れる」「畏れる」は神を神として信頼し敬うこと。それは真の幸福の出発点です。「心の頑な者」とは神に信頼せず、隣人に対し傲慢に振舞う者です。木村文太郎先生(当教会8代牧師)は『ローマ人への手紙』の中で「神を恐れなくなれば、神と真理に対する無感覚が始まる。真偽、善悪、美醜の区別は失せて、残るのは利害感覚と快不快の情欲のみとなる。そして生活は放縦となる。」と書いています。彼らの前途に待ち構えているものは大きな苦難以外ではないでしょう。

12月6日のみことば

「金持ちは自分を賢いと思い込む。弱くても分別ある人は彼を見抜く」(箴言28:11)

ある神学者はこの言葉に「見透かされたうぬぼれ」という見出しをつけています。金持ちは自分が成功したのは自分の力だ、隣人が貧しいのは彼に能力がないからだと思いこみ、貧しい者を見下しがちです。しかし貧しい人は様々な経験を通して真の友情を経験し、神に信頼することの大切さも学んでおり、その人生には深みがあります。加島和夫氏の『続一年一組せんせいあのね』の中に「人」という詩がありました。「えらい人より、やさしい人のほうがえらい。やさしい人より、金のない人のほうがえらい。なぜかというと、金のない人は、よくさみしいなかで、よくいきているからだ」。すごい洞察ですね。

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