12月7日のみことば

「罪を隠している者は栄えない。告白して罪を捨てる者は憐れみを受ける」(箴言28:13)

諺に「白状した罪は半ば許されている」とあり、モンテーニュは「勇気のある自発的な告白は非難の矛先を和らげ、侮辱の筒先を取り除く」と言っています。人間の世界でそうなら、神においてはなおさらではないでしょうか。聖書で言う「罪」とは的外れのこと。三浦綾子さんは『続氷点』の中で「まっすぐに歩いたつもりでも…足跡が曲がってついている…」と言っています。それに対し「悔い改め」とは方向転換のこと、神に向かって正しく生き始めることです。私たちの人生にはわが身を静かに見直す時が必要なのです。

 

12月5日のみことば

「教えに耳をそむけて聞こうとしない者は/その祈りも忌むべきものと見なされる」(箴言28:9)

こんな話を読みました。スウェーデンの女流作家が、仕事に行き詰ったので、「この次には、何をしたらよろしいでしょうか」と神に尋ねました。ところが何の答えも与えられません。そこで彼女は我慢できなくなって大声を張り上げてどなりました。するとただちに神の声が聞こえてきたのです。だがそれは、「日ごろは、私にさるぐつわをかませておいて、今さら話せとは、言えた義理かどうか考えてみなさい」というものでした。まず耳を傾けた神の言葉が、私たちを神に喜ばれる祈りへと促すのです。

12月6日のみことば

「金持ちは自分を賢いと思い込む。弱くても分別ある人は彼を見抜く」(箴言28:11)

ある神学者はこの言葉に「見透かされたうぬぼれ」という見出しをつけています。金持ちは自分が成功したのは自分の力だ、隣人が貧しいのは彼に能力がないからだと思いこみ、貧しい者を見下しがちです。しかし貧しい人は様々な経験を通して真の友情を経験し、神に信頼することの大切さも学んでおり、その人生には深みがあります。加島和夫氏の『続一年一組せんせいあのね』の中に「人」という詩がありました。「えらい人より、やさしい人のほうがえらい。やさしい人より、金のない人のほうがえらい。なぜかというと、金のない人は、よくさみしいなかで、よくいきているからだ」。すごい洞察ですね。

12月4日のみことば

「利息、高利で財産を殖やす者は/集めても、弱者を憐れむ人に渡すことになろう」(箴言28:8)

類似した言葉は箴言13:22「善人は孫の代にまで嗣業を残す。罪人の富は神に従う人のために蓄えられる」。高利と暴利で自分の財産を不当に増やそうとする行為に対する戒めです。そうして蓄積した財産は子孫に相続できず、貧者を恵む人にゆずることになると知恵の教師は言い、貧者に心を向ける人への神の特別な計らいを教えています。クリスマスの季節になると、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』が想い出されます。

12月5日のみことば

「教えに耳をそむけて聞こうとしない者は/その祈りも忌むべきものと見なされる」(箴言28:9)

こんな話を読みました。スウェーデンの女流作家が、仕事に行き詰ったので、「この次には、何をしたらよろしいでしょうか」と神に尋ねました。ところが何の答えも与えられません。そこで彼女は我慢できなくなって大声を張り上げてどなりました。するとただちに神の声が聞こえてきたのです。だがそれは、「日ごろは、私にさるぐつわをかませておいて、今さら話せとは、言えた義理かどうか考えてみなさい」というものでした。まず耳を傾けた神の言葉が、私たちを神に喜ばれる祈りへと促すのです。

12月3日のみことば

「悪を行う者らは裁きを理解しない。主を尋ね求める人々はすべてを理解する」(箴言28:5)

私たちは聖書の中に神の意志、神の愛、神の力を探します。そこから心を逸らすと、無益なものに心を支配され、大切なものが見えなくなってしまいます。神の言葉が秩序ある生活を可能にするのです。仮に今厳しい状況にあっても、私たちはその中に神の導く確かな道を見出しますし、前途に大きな祝福があることを確信できるのです。

12月4日のみことば

「利息、高利で財産を殖やす者は/集めても、弱者を憐れむ人に渡すことになろう」(箴言28:8)

類似した言葉は箴言13:22「善人は孫の代にまで嗣業を残す。罪人の富は神に従う人のために蓄えられる」。高利と暴利で自分の財産を不当に増やそうとする行為に対する戒めです。そうして蓄積した財産は子孫に相続できず、貧者を恵む人にゆずることになると知恵の教師は言い、貧者に心を向ける人への神の特別な計らいを教えています。クリスマスの季節になると、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』が想い出されます。

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