11月23日のみことば

「あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家には行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる」(箴言27:10)

知恵の教師は、遠く離れ、日ごろ行き来のない兄弟よりも、近くにいる友人たちの方こそ頼もしい、と教えます。もちろん遠くにいても常に心にかけてくれ、一旦事が起これば駆けつけてくれる兄弟がありがたいのは言うまでもありませんが…。ところで誰もが知っている讃美歌は「いつくしみ深い友なるイエスは」でしょう。これまでの人生の中で私はどれくらい主イエスの存在、その御言葉に助けられてきたことでしょう。数えきれないほどです。主イエスこそ最高の友であり、兄弟であり、救い主です。

11月21日のみことば

「あらわな戒めは、隠された愛にまさる。愛する人の与える傷は忠実さのしるし/憎む人は数多くの接吻を与える。」(箴言27:5~6)

友を大切に思うからこそ率直に忠告する場合があります。それとは逆に、友の問題性に気づきながら何も言わない場合もあります。率直な忠告を受ければ傷つくかもしれません。しかし真実の忠告者はどんな時にも彼と共にいて、立ち直るための祈りと助力を決して惜しまないでしょう。前者は後者にはるかにまさります。

11月22日のみことば

「飽き足りている人は蜂の巣の滴りも踏みつける。飢えている人には苦いものも甘い」(箴言27:7)

古代においては蜂蜜は最高に甘いものの代表であり、誰でも欲しがるものですが、それでも食べ飽きている人はもう十分だと言って捨ててしまうことでしょう。反対に飢えている人には少々苦いものでもとても甘く感じることでしょう。しばしば「空腹は最高の料理人」と言うとおりです。ところで私たちが危機的状況にある時、聖書の言葉の有難さと力を体験します。しかしできることなら、そうなる前に、日々聖書の言葉にもっと耳を傾け、心を養われたいものです。

11月20日のみことば

「憤りは残忍、怒りは洪水。ねたみの前に誰が耐ええようか」(箴言27:4)

ある注解者は「憤りと怒りは打ち叩く雹や豪雨のようである。しかし嫉妬はもっと恐ろしい」と説明しています。諺に「ねたみはその身の仇」とあり、ソクラテスは「ねたみは魂の腐敗」と言い、ある人は「妬みは鉄を腐食させる錆のよう」と言い、またある人は「妬み深い人は、他人だけではなく、実はわれとわが身も不幸にしている」と言っています。箴言14:30には「穏やかな心は肉体を生かし、激情は骨を腐らせる」と教えられています。今日も愛に富む主イエスを信じ、平安を頂き、穏やかな心で働きに当たりましょう。

11月21日のみことば

「あらわな戒めは、隠された愛にまさる。愛する人の与える傷は忠実さのしるし/憎む人は数多くの接吻を与える。」(箴言27:5~6)

友を大切に思うからこそ率直に忠告する場合があります。それとは逆に、友の問題性に気づきながら何も言わない場合もあります。率直な忠告を受ければ傷つくかもしれません。しかし真実の忠告者はどんな時にも彼と共にいて、立ち直るための祈りと助力を決して惜しまないでしょう。前者は後者にはるかにまさります。

11月19日のみことば

「石は重く、砂も目方がかかる。無知な者が不機嫌なのはどちらよりも重い」(箴言27:3)

石は重いです。砂は小さいけれど、それも集まれば重くなります。不機嫌さは大小問わず周囲にいる人の心に重く暗くします。自分が不機嫌だからといって隣人を不愉快にする権利は誰にもありません。「不機嫌な馬には、別の馬小屋が必要だ」といった人がいるが、確かにそのとおりです。ところで主イエスの周囲にはいつも明るいユーモアが溢れていたに違いないと私は確信しています。ひげ面の弟子たちがしばしば破顔一笑した姿を想像すると楽しくなります。

11月20日のみことば

「憤りは残忍、怒りは洪水。ねたみの前に誰が耐ええようか」(箴言27:4)

ある注解者は「憤りと怒りは打ち叩く雹や豪雨のようである。しかし嫉妬はもっと恐ろしい」と説明しています。諺に「ねたみはその身の仇」とあり、ソクラテスは「ねたみは魂の腐敗」と言い、ある人は「妬みは鉄を腐食させる錆のよう」と言い、またある人は「妬み深い人は、他人だけではなく、実はわれとわが身も不幸にしている」と言っています。箴言14:30には「穏やかな心は肉体を生かし、激情は骨を腐らせる」と教えられています。今日も愛に富む主イエスを信じ、平安を頂き、穏やかな心で働きに当たりましょう。

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