2月8日のみことば

2月8日(土)わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある。(詩編124:8)

私たちの助け、救い、恵みはどこから来るのでしょうか。人からでしょうか。そうではありません。詩人は明快に「神から」と答えます。究極の救いの所在を間違ってはいけません。「山べにむかいてわれ目を上ぐ、助けはいずかたよりきたるか、あめつちのみかみよりたすけぞわれに来る」(讃美歌301番)。今日も神からの恵みがあなたに来る!

2月6日のみことば

2月6日(木)わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。(詩編130:5~7)

私たちは何に希望を置いているでしょうか。それが私たちの将来を決定します。人を頼みとしているでしょうか。有能な人と知り合いであるのは良いことです。しかし決定的ではありません。それだけを頼りにする人は失望する時が来ます。人は全能ではなく、その力は一時的だからです。むしろ私たちは主なる神に望みを置くべきだと詩人は言います。なぜなら神こそ永遠なる方であり、真の慈しみと豊かさがあるからです。

2月6日のみことば

2月6日(木)わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。(詩編130:5~7)

私たちは何に希望を置いているでしょうか。それが私たちの将来を決定します。人を頼みとしているでしょうか。有能な人と知り合いであるのは良いことです。しかし決定的ではありません。それだけを頼りにする人は失望する時が来ます。人は全能ではなく、その力は一時的だからです。むしろ私たちは主なる神に望みを置くべきだと詩人は言います。なぜなら神こそ永遠なる方であり、真の慈しみと豊かさがあるからです。

2月5日のみことば

主はヤコブを御自分のために選び、イスラエルを御自分の宝とされた。(詩編135:4)

「イスラエル」はヤコブが神から頂いたもう一つの名である(創世記32:23~31)。ヤコブは神に選ばれる十分な資格を持っていたのだろうか。そうではない。イスラエルは神の宝とされるほど価値ある存在だったのだろうか。そうではない。彼にはたくさんの欠点があったにもかかわらず、神は彼を愛し、選び、御自分の宝の民とされた。聖書の神はそういう方なのだ。神は私たちをも「宝」と言われる。心の中でそっと「私は神様の宝物」と言ってみよう。なんだかとてもうれしくなるし、力が湧いてくる。

 

2月5日のみことば

主はヤコブを御自分のために選び、イスラエルを御自分の宝とされた。(詩編135:4)

「イスラエル」はヤコブが神から頂いたもう一つの名である(創世記32:23~31)。ヤコブは神に選ばれる十分な資格を持っていたのだろうか。そうではない。イスラエルは神の宝とされるほど価値ある存在だったのだろうか。そうではない。彼にはたくさんの欠点があったにもかかわらず、神は彼を愛し、選び、御自分の宝の民とされた。聖書の神はそういう方なのだ。神は私たちをも「宝」と言われる。心の中でそっと「私は神様の宝物」と言ってみよう。なんだかとてもうれしくなるし、力が湧いてくる。

 

2月4日のみことば

呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました。(詩編138:3)

「魂に力」、これこそ私たちが求めていることだ。見せかけの元気ではない、魂の深みから沸き起こってくる力、喜び、希望こそ今もっとも必要なものだ。それを主が与えてくださる。また「解き放ってくださいました」とある。私たちの心は様々なものに縛られている。案外、どうでもいいものにまで縛られているのである。のびのびしたい、一切のものから解き放たれ、自由の喜びを味わいたいと思う。主がそれをしてくださる!

2月3日のみことば

「主にわたしは申します『あなたはわたしの神』と。主よ、嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。」(詩編140:7)

詩人は「あなたはわたしの神」と言います。天地の創造者、歴史の支配者である神に「あなた」と呼びかけることができる、なんという幸いでしょう。その方が「嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてくださる」のです。上の空ではない、耳をじっくりと傾けてです。どんなカウンセラーよりもしかりとした仕方で耳を傾けてくださるのです。その方にもっと聞いていただこうではありませんか。