10月11日のみことば

「真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな」(箴言23:23)

現代ほど真理、知恵、諭し、分別というものが軽んじられている時代はないように思われます。それよりも利益最優先。フォルクスワーゲン社は数万円の機器設置を惜しんで会社存亡の大危機に直面。主イエスを取り調べた総督ピラトは「真理とは何か」と言ったが、それ以上問うことも求めることもしませんでした。主イエスは「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。主イエスが私たちに示される真理こそ私たちを真の命に導く道なのです。この道を今週も共に歩に、祝福を頂きましょう。

10月12日のみことば

「家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。知識は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる」(箴言24:3-4)

家にとって最も重要なものは土台。人生の土台について主イエスは「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」と言われました。家を建ててもそれぞれの部屋に何を置き、どう使うかでその人のセンスが問われます。人生の部屋とは各年代。そこで何を学び身につけるかが大事。知恵の教師は「それは知識」と言います。勉強というより人生の知恵です。それこそ「貴く喜ばしい財産」です。今日は休日、ちょっとだけこの「貴く喜ばしい財産」点検をしてみたらどうでしょう?

10月10日のみことば

「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」(箴言23:22)

親が年老いてくると、体も小さくなり、耳も遠くなり、動作は遅くなり、判断力は鈍くなり…、昔はそうではなかったのにと一抹の寂しさを覚えます。働き盛りの子どもたちはそういう親を軽んじがちです。しかし聖書によれば、親は命の継承者であり、私たちの体を育て、生きるため技術と知恵を与えてくれた存在です。このような存在に対する尊敬こそ社会生活を支える柱のひとつです。「自分の父をあざけり、母に従うのを卑しいこととする目は、谷のからすがこれをつつき出し、はげたかがこれを食べる」(箴言30:17)。

10月11日のみことば

「真理を得よ、知恵も諭しも分別も手放すな」(箴言23:23)

現代ほど真理、知恵、諭し、分別というものが軽んじられている時代はないように思われます。それよりも利益最優先。フォルクスワーゲン社は数万円の機器設置を惜しんで会社存亡の大危機に直面。主イエスを取り調べた総督ピラトは「真理とは何か」と言ったが、それ以上問うことも求めることもしませんでした。主イエスは「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。主イエスが私たちに示される真理こそ私たちを真の命に導く道なのです。この道を今週も共に歩に、祝福を頂きましょう。

10月9日のみことば

「わが子よ、あなたの心が知恵を得れば/わたしの心は喜び祝う」(箴言23:15)

どんな時代でも教師は生徒の成長を喜ぶものです。生徒が真理を理解し、言葉によって適切な答えを説明できるようになっていることに気づくと嬉しくなります。主イエスと弟子たちがフィリポ・カイザリア地方に行かれた時、主は「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と尋ねられました。それに対しペトロが「あなたこそ生ける神の子キリストです」と告白した時、主イエスは「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ」と言われたことが記されています。私たちも主イエスを正しく理解し、その御言葉のパンによって日々成長したいものです。

10月10日のみことば

「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」(箴言23:22)

親が年老いてくると、体も小さくなり、耳も遠くなり、動作は遅くなり、判断力は鈍くなり…、昔はそうではなかったのにと一抹の寂しさを覚えます。働き盛りの子どもたちはそういう親を軽んじがちです。しかし聖書によれば、親は命の継承者であり、私たちの体を育て、生きるため技術と知恵を与えてくれた存在です。このような存在に対する尊敬こそ社会生活を支える柱のひとつです。「自分の父をあざけり、母に従うのを卑しいこととする目は、谷のからすがこれをつつき出し、はげたかがこれを食べる」(箴言30:17)。

10月8日のみことば

「彼らを贖う神は強く/彼らに代わって…争われるであろう」(箴言23:11)

神は愛に富む方、しかも強い方です。もし誰かが弱い立場にある人を無慈悲に踏みにじるなら、神が彼らに代わって争われます。その時、私たちは神の強さを痛感することになるでしょう。日本のプロテスタント教会で最初に翻訳、讃美されたのは、有名な「主われを愛す」です。「主われを愛す、主は強ければ我弱くとも、恐れはあらじ、わが主イエス、わが主イエス、われを愛す」。「主は強めれば我弱くとも」、これこそ平安の源泉です。

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