9月18日のみことば

「弱い人の叫びに耳を閉ざす者は/自分が呼び求める時が来ても答えは得られない」(箴言21:13)

子どもの泣き声は大人の耳に大きく聞こえます。ましてわが子の泣き声なら…。神は私たちの祈りに決して耳を閉ざされません。耳を傾け、必要な助けを与えようとされます。神の心は大きな愛なのです。八木重吉の詩です。「さて あかんぼは なぜに あんあんあんあんなくんだろうか ほんとにうるせいよ あんあんあんあん あんあんあんあん うるさかないよ うるさかないよ よんでるんだよ かみさまをよんでるんだよ みんなもよびな あんなに しつっこくよびな」 赤ちゃんは私たちのお手本なのです。

9月16日のみことば

「勤勉な人はよく計画して利益を得/あわてて事を行う者は欠損をまねく」(箴言21:5)

岩波訳聖書では「勤勉な者のはかりごとは、利益となる。だが、急ぐ者は皆、損をするだけ」と訳されています。ローマ皇帝アウグストゥスの座右の銘の一つは「ゆっくり急げ」でした。政府は今日安保法案を採決しようとしているようですが、圧倒的に多くの人が説明不十分と言い、戦争につながる危険性を感じているのです。総理、もしこの法案がどうしても必要と確信されるなら、猶更「ゆっくり」お願いします。ちなみに私はこの法案には賛成できません。

9月17日のみことば

「神に逆らう者は自分の暴力に引きずられて行く。正義を行うことを拒んだからだ。」(箴言21:7)

神に逆らう人は神の言葉に従おうとはしません。では何に従うのでしょうか。2つしかありません。1つは他人の考え、もう1つは自分の考え。それらはとても強い力を持っており、時に暴力のように強引でもあり、私たちを容赦なく引きずっていきます。また「暴力」という言葉には「荒廃させる」という意味もあり、その行きつく先は修復不可能な荒廃なのです。神に聞き従う生活こそ平安と喜びの生活なのです。

9月15日のみことば

「高慢なまなざし、傲慢な心は/神に逆らう者の灯、罪」(箴言21:4)

岩波訳聖書は「眼の高ぶりと心の驕り、邪悪な者どもの開墾は罪」と翻訳しています。開墾して土地が次第に広くなっていくように、神に逆らう心、高慢なまなざしは次第に広くなっていくのです。しかしそこには豊かな祝福の実りはないのです。神への信頼と愛の心が開墾されて広くなり、そこに「御霊の実」、すなわち「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22~23)が豊かに実るなら、どんなに素晴らしいことでしょう。

9月16日のみことば

「勤勉な人はよく計画して利益を得/あわてて事を行う者は欠損をまねく」(箴言21:5)

岩波訳聖書では「勤勉な者のはかりごとは、利益となる。だが、急ぐ者は皆、損をするだけ」と訳されています。ローマ皇帝アウグストゥスの座右の銘の一つは「ゆっくり急げ」でした。政府は今日安保法案を採決しようとしているようですが、圧倒的に多くの人が説明不十分と言い、戦争につながる危険性を感じているのです。総理、もしこの法案がどうしても必要と確信されるなら、猶更「ゆっくり」お願いします。ちなみに私はこの法案には賛成できません。

9月14日のみことば

「神に従い正義を行うことは/いけにえをささげるよりも主に喜ばれる」(箴言21:3)。

形式的で見せかけの信仰を神は喜ばれません。神を心から愛し、喜んで礼拝し、神の御心に忠実に従い、隣人に対し心を込めて真実と愛を行う人を喜ばれます。それは神の意に適うものであり、神の前に価値あるものなのです。だから豊かに祝福されます。

9月15日のみことば

「高慢なまなざし、傲慢な心は/神に逆らう者の灯、罪」(箴言21:4)

岩波訳聖書は「眼の高ぶりと心の驕り、邪悪な者どもの開墾は罪」と翻訳しています。開墾して土地が次第に広くなっていくように、神に逆らう心、高慢なまなざしは次第に広くなっていくのです。しかしそこには豊かな祝福の実りはないのです。神への信頼と愛の心が開墾されて広くなり、そこに「御霊の実」、すなわち「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22~23)が豊かに実るなら、どんなに素晴らしいことでしょう。

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