8月11日のみことば

「慈しみとまことは王を守る。王座は慈しみによって保たれる」(箴言20:28)

権力の座にある者は自分をその職に任じた至高者なる神を常に覚え、国民一人ひとりに対し友愛と真実の心を持つべきです。国民の8割が説明不十分と感じている法案を何がなんでも通過させようとする、これは正しいことでしょうか。アメリカの声はよく聞こえるのに、沖縄の多数の声は聞こえない、これは正しいことでしょうか。総理、よくよくお考えください。私たちキリスト者は国家のために祈り行動します。

9月9日のみことば

「悪に報いたいと言ってはならない。主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる」(箴言20:22)

あなたは今不法な仕打ちに苦しんでいますか。そんな時は誰しも報復したいと思います。しかし知恵の教師は「神に委ねよ。神の正義に希望を置け。神こそ私たちを危険と貧困と恥辱から救い出す正義の執行官だ」と助言するのです。でも私たちにはその日の到来を待つことが難しいのです。その日は永遠に来ないのではないかとさえ思えるのです。しかし申命記32:35には「彼らの終わりは速やかに来る」と記されています。彼らの仕打ちが終わり、平安な日々を喜び楽しむ時が必ず訪れるのです。

 

9月10日のみことば

「人の一歩一歩を定めるのは主である」(箴言20:24)

私たちは自分の将来についてあれこれと計画します。それは無計画よりはるかに優れています。しかし私の人生について私の計画よりも優れた計画を神は持っておられることを覚えたいものです。同じ箴言に類似の言葉があります。「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言19:21)。神に導かれる歩みには常に明るい期待があります。

9月8日のみことば

「初めに嗣業をむさぼっても/後にはそれは祝福されない」(箴言20:21)

ある聖書では「最初に急いで得た財産は、その終わりには祝福されない」と訳されています。「棚からぼたもち」のように転げ込んできたような財産は、本人の勤勉な労働によって獲得した財産とは異なります。急に増大させたような富に対しては警告を与え、勤勉な労働に対しては称賛を与えています。箴言13:11には「財産は吐く息よりも速く減って行くが、手をもって集めれば増やすことができる」ともあります。今日の働きが確かな人生を築くものとなりますように。

9月9日のみことば

「悪に報いたいと言ってはならない。主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる」(箴言20:22)

あなたは今不法な仕打ちに苦しんでいますか。そんな時は誰しも報復したいと思います。しかし知恵の教師は「神に委ねよ。神の正義に希望を置け。神こそ私たちを危険と貧困と恥辱から救い出す正義の執行官だ」と助言するのです。でも私たちにはその日の到来を待つことが難しいのです。その日は永遠に来ないのではないかとさえ思えるのです。しかし申命記32:35には「彼らの終わりは速やかに来る」と記されています。彼らの仕打ちが終わり、平安な日々を喜び楽しむ時が必ず訪れるのです。

 

9月7日のみことば

「父母を呪う者/彼の灯は闇のただ中で消える」(箴言20:20)
「灯火」とは生命の象徴です。ランプの灯が消えるとは命の息が衰え、呼吸が止まること、つまり死です。父母を敬わないことは、両親を与えたのは神に対する神に対する重大な罪となり、神はこのような罪を放置なさらないのです。諺にも「父母の名を誇りに思わない者の上に、太陽が輝くことがないように」とあります。敬老の日が近づいています。改めて神と親に感謝したいと思います。「『父と母を敬いなさい。』これは約束を伴う最初の掟です。『そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です」(エフェソ6:1~4)。

9月8日のみことば

「初めに嗣業をむさぼっても/後にはそれは祝福されない」(箴言20:21)

ある聖書では「最初に急いで得た財産は、その終わりには祝福されない」と訳されています。「棚からぼたもち」のように転げ込んできたような財産は、本人の勤勉な労働によって獲得した財産とは異なります。急に増大させたような富に対しては警告を与え、勤勉な労働に対しては称賛を与えています。箴言13:11には「財産は吐く息よりも速く減って行くが、手をもって集めれば増やすことができる」ともあります。今日の働きが確かな人生を築くものとなりますように。

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