8月5日のみことば

「弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。」(箴言14:31)

「箴言は人間の心と生活に強く打ちこまれた釘である」とある注解者は言います。この箴言はまさにそれです。権力を持たない農民も神の作品です。その人から土地を取り上げることは、創造主の意図に反する行為であり神を侮辱することです。多くの沖縄県民が、「辺野古に基地を造らないでほしい! なぜ全基地の74%を沖縄に押し付けるのですか?」と訴えているのに政府は耳を傾けない、これは正しいことでしょうか。野中広務氏(元自由民主党幹事長、元官房長官)は『私の「戦後七〇年談話」』の中で「そういう沖縄の人たちの気持を謙虚に受け止めようとしない、いまの政治家は何を考えているんだと思うんです」と言っています。

8月3日のみことば

「国が強大であれば王は栄光を得る。民が絶えれば君主は滅びる。」(箴言14:28)

今朝はある注解者の言葉をそのまま引用したいと思います。「民が苦しみ、その国に生きていることを喜べないような政治をする者はいずれ民からも捨てられることになるだろう。独裁者の末路は哀れなもの。『指導者よ、国民が逃げ出さないような政治をお考えください』。この勧告は必要な変更を加えて会社の指導者、政党の党首、船長などにも当てはまるだろう」。確かに…。わが国の政治家たちにも考えてほしいと思います。

8月4日のみことば

「穏やかな心は肉体を生かし/激情は骨を腐らせる」(箴言14:30)

岩波訳聖書は「穏やかな心は、体のいのち。だが嫉妬は、骨の腐れ」と訳しています。伊藤一彦編著『百歳がうたう百歳をうたう』に興味深い歌がいくつも。「のび盛り生意気盛り花盛り、老い盛りとぞ言わせきもの」(築地正子)「百歳だ生きる力を握りしめマスマス元気リハビリ励む」(田代マスエ)。すべての短歌の根っこに人生を肯定し感謝して生きようとする朗らかさと穏やかさがあります。反対に「嫉妬」はいけません。それは私たちの心と体を弱らせ、骨を腐らせます。今日も私たちに確実に注がれている神の愛と恵みを覚えつつ、力いっぱい、もちろん熱中症には十分注意して生きてみましょう。

8月2日のみことば

「主を畏れれば頼るべき砦を得/子らのためには避けどころを得る。」(箴言14:26)

岩波訳聖書は「ヤハウェを畏れることには、力強い信頼がある。彼の子孫にも避難所になる」と訳しています。神を畏れる従順な生き方をする者は保護されているのです。祖父母がイエス・キリストに救いを見いだした時、「わが家は三代四代はおろか千代までも主イエス様にお従いする」と語りました。主イエス様によって崩壊しかかっていた家庭が再建され、生きる根拠、原動力、目的となったのです。私は三代目、子どもたちは四代目、そして孫たちが五代目になります。貴い宝として伝えていってほしい救いであり、家族を超えて広まってほしい救いです。

8月3日のみことば

「国が強大であれば王は栄光を得る。民が絶えれば君主は滅びる。」(箴言14:28)

今朝はある注解者の言葉をそのまま引用したいと思います。「民が苦しみ、その国に生きていることを喜べないような政治をする者はいずれ民からも捨てられることになるだろう。独裁者の末路は哀れなもの。『指導者よ、国民が逃げ出さないような政治をお考えください』。この勧告は必要な変更を加えて会社の指導者、政党の党首、船長などにも当てはまるだろう」。確かに…。わが国の政治家たちにも考えてほしいと思います。

8月1日のみことば

「真実の証人は魂を救い/欺きの発言をする者は裏切る。(箴言14:25)

「欺きは神の健全な秩序の破壊であり、真理と真実を裏切る行為である」と注解者は言います。岩波書店の『私の「戦後70年談話」』に野中広務氏(元自由民主党幹事長、元官房長官)の一文が掲載されていました。「沖縄は、日本で唯一戦場になった場所です。県民10万人余りが犠牲となり、見るも無残な戦場になってしまった。沖縄は戦争が終わって70年たつのに、いまも米軍基地の74パーセントがあり、沖縄のいい場所が全部アメリカの基地にとられているんです。そういう沖縄の人たちの気持を謙虚に受け止めようとしない、今の政治家は何を考えているんだと思うんです」。また従軍慰安婦問題を挙げながら「事実は一つしかないんです。過去の事は現実として受け止めて、過去に対して謙虚でなければ…近隣諸国や世界の信頼を得ようとしたって、それは無理ですよ」。現政権に対して手厳しい批判を語っています。

8月2日のみことば

「主を畏れれば頼るべき砦を得/子らのためには避けどころを得る。」(箴言14:26)

岩波訳聖書は「ヤハウェを畏れることには、力強い信頼がある。彼の子孫にも避難所になる」と訳しています。神を畏れる従順な生き方をする者は保護されているのです。祖父母がイエス・キリストに救いを見いだした時、「わが家は三代四代はおろか千代までも主イエス様にお従いする」と語りました。主イエス様によって崩壊しかかっていた家庭が再建され、生きる根拠、原動力、目的となったのです。私は三代目、子どもたちは四代目、そして孫たちが五代目になります。貴い宝として伝えていってほしい救いであり、家族を超えて広まってほしい救いです。

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