6月24日のみことば

「穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買い/供する人の頭上には祝福が与えられる。」(箴言11:26)

飢饉の時など穀物をたくさん貯蔵している金持ちが売り惜しんで値を釣り上げるなら、民の怒りを買うことは必定です。彼の豊かさはこの時こそ用いられるべきです。私の心には神学者ロナルド・J.サイダーの言葉が警鐘のように響きます。「困窮している人を顧みないという罪は、貧しい者の神を激怒させる」(『飢えの時代と富むキリスト者』)。苦しむ人を守り配慮しようとする人の頭上には神の祝福が約束されています。

6月22日のみことば

「散らしてなお、加えられる人もあり/締めすぎて欠乏する者もある。」(箴言11:24)

気前良さとけちについての格言です。倉庫に穀物をため込み、値段が高くなった時に売り出して不当に利益をあげようとする人もいますが、果たして豊かになれるでしょうか。その豊かさは永続するでしょうか。反対に惜しみなく与えながら一層増し加えられる人もあります。本当に富む道は、決してけちけちすることではない。おおらかな心の持ち主には神の祝福が一層与えられ、主によって満たされるのです。

6月23日のみことば

「気前のよい人は自分も太り/他を潤す人は自分も潤う。(箴言11:25)

食べ過ぎて太るのは困りますが、神の祝福によって「太る」つまり豊かにされることは素晴らしいこと、望ましいこと、感謝なことです。キリストは「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」(ルカ6:38/口語訳)と言われました。愛に富んだ人には隣人もそうしてくれるが、何よりも神がそうしてくださるのです。

6月21日のみことば

「神に従う人の望みは常に良い。神に逆らう者の期待は怒りに終る。(箴言11:23)

神に従う人も神に逆らう人もそれぞれに望みを抱きますが、その結末は異なっています。「神に従う人の望みは常に良い」。岩波訳聖書はさらに強調して「義人たちの望みは、よいことばかり」と訳しています。だが神に逆らい続ける人の期待は実現することなく、空しく消えてしまうというのです。「顔を日のさすほうへ向けましょう。そうすれば影は見えません。」(ヘレン・ケラー)

6月22日のみことば

「散らしてなお、加えられる人もあり/締めすぎて欠乏する者もある。」(箴言11:24)

気前良さとけちについての格言です。倉庫に穀物をため込み、値段が高くなった時に売り出して不当に利益をあげようとする人もいますが、果たして豊かになれるでしょうか。その豊かさは永続するでしょうか。反対に惜しみなく与えながら一層増し加えられる人もあります。本当に富む道は、決してけちけちすることではない。おおらかな心の持ち主には神の祝福が一層与えられ、主によって満たされるのです。

6月⒛日のみことば

「心の曲がった者を主はいとい/完全な道を歩む人を喜ばれる。」(箴言11:20)

神に信頼せずに自分に信頼し、隣人を愛さずに自己愛で心がいっぱい、そういう人は果たして幸福でしょうか。父なる神に徹底的に信頼し、隣人を心から愛して生きる主イエスに対し神は「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコ1:11)と言われました。私たちも御子イエスに倣って歩んでいきましょう。讃美歌494の折り返しが好きです。「そなえたもう主の道を、ふみてゆかんひとすじに」

6月21日のみことば

「神に従う人の望みは常に良い。神に逆らう者の期待は怒りに終る。(箴言11:23)

神に従う人も神に逆らう人もそれぞれに望みを抱きますが、その結末は異なっています。「神に従う人の望みは常に良い」。岩波訳聖書はさらに強調して「義人たちの望みは、よいことばかり」と訳しています。だが神に逆らい続ける人の期待は実現することなく、空しく消えてしまうというのです。「顔を日のさすほうへ向けましょう。そうすれば影は見えません。」(ヘレン・ケラー)

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