6月14日のみことば

「指導しなければ民は滅びるが/参議が多ければ救われる。」(箴言11:14)

「船頭多くして船山に登る」と言います。しかし反対に「三人寄れば文殊の知恵」とも言います。心を一つにできる仲間が集まってそれぞれの知恵を結集できるなら、どんな大きな課題も楽々と乗り越え、さらに発展することができるでしょう。私たち信仰者の場合はその上に、いいえ決定的に、神の導きと知恵を頂くのですから、大安心だと言えます。

6月12日のみことば

「心ない者は友人を侮る。英知ある人は沈黙を守る。」(箴言11:12)

「心ない人」とは「心に欠点のある人」つまり思慮に欠けている人のこと。そのような人は親しい友人のことさえも悪しざまに言います。しかし英知ある人は嘘を言いませんし、人を侮辱するようなことも言いません。彼は言うべき時が来るまで沈黙を守ることができる人なのです。「一切は神がご存じ」という確信が彼を平安にします。

6月13日のみことば

「悪口を言い歩く者は秘密をもらす。誠実な人は事を秘めておく。」(箴言11:13)

ユダヤ人賢者の言葉ですが、人が友人にある秘密を打ち明け、「分かりましたか」と言った時、友人は「確かに分かったが、忘れた」と答えたそうです。牧師には守秘義務があります。「誰にも言わないで」と言われたことは固く守秘してきました。ただイエス様だけには祈りの中でお話し、相談者のために適切な導きと豊かな祝福をお与えくださいと祈ってきました。〈忘れる〉ことは知恵ですが、〈祈り〉はもっと優れた知恵だと思います。

6月11日のみことば

「正しい人の祝福によって町は興り、神に逆らう者の口によって町は滅びる。」(箴言11:11)

「祝福」とは祝福の祈りのこと。ヤコブ5:16に「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」とあります。神に信頼する人が自分の町のために神の祝福を求めるなら、その町は確実に高められます。神を知る親の祈りは子や孫たちに神の祝福をもたらすのです。私が西南学院教会牧師に就任したのは30代初めでした。いろいろな課題がありました。しかし今日まで歩んでこれたのは、私のために祈り続けてくださった老姉のおかげです。使徒パウロは「あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって」(フィリピ1:19)と言っています。教会や家庭に本当に必要なもの、それは非難ではなく祈りなのです。

6月12日のみことば

「心ない者は友人を侮る。英知ある人は沈黙を守る。」(箴言11:12)

「心ない人」とは「心に欠点のある人」つまり思慮に欠けている人のこと。そのような人は親しい友人のことさえも悪しざまに言います。しかし英知ある人は嘘を言いませんし、人を侮辱するようなことも言いません。彼は言うべき時が来るまで沈黙を守ることができる人なのです。「一切は神がご存じ」という確信が彼を平安にします。

6月10日のみことば

「神に従う人が幸いを得れば町は喜ぶ」(箴言11:10)

信仰者と彼の家庭、信仰者と彼の住む町の間には密接な関係があります。山に降った雨が山に蓄えられ、地下水となり、泉となり、小川となり、やがて大きな川になって農村や町を豊かに潤します。それと同じように神に従う人に神がお与えになる祝福は、その人ひとりに留まらず、彼の家庭に、職場に、学校、町に祝福をもたらすことになるというのです。私たちはたった一人の信仰者かもしれませんが、大きな祝福の基なのです。

6月11日のみことば

「正しい人の祝福によって町は興り、神に逆らう者の口によって町は滅びる。」(箴言11:11)

「祝福」とは祝福の祈りのこと。ヤコブ5:16に「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」とあります。神に信頼する人が自分の町のために神の祝福を求めるなら、その町は確実に高められます。神を知る親の祈りは子や孫たちに神の祝福をもたらすのです。私が西南学院教会牧師に就任したのは30代初めでした。いろいろな課題がありました。しかし今日まで歩んでこれたのは、私のために祈り続けてくださった老姉のおかげです。使徒パウロは「あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって」(フィリピ1:19)と言っています。教会や家庭に本当に必要なもの、それは非難ではなく祈りなのです。

TOP