6月⒛日のみことば

「心の曲がった者を主はいとい/完全な道を歩む人を喜ばれる。」(箴言11:20)

神に信頼せずに自分に信頼し、隣人を愛さずに自己愛で心がいっぱい、そういう人は果たして幸福でしょうか。父なる神に徹底的に信頼し、隣人を心から愛して生きる主イエスに対し神は「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコ1:11)と言われました。私たちも御子イエスに倣って歩んでいきましょう。讃美歌494の折り返しが好きです。「そなえたもう主の道を、ふみてゆかんひとすじに」

6月16日のみことば

「慈善は命への確かな道。悪を追求する者は死に至る。」(箴言11:19)

「慈善を蒔く人」「義を蒔く人」「善意を蒔く人」は素晴らしい連鎖反応を引き起こします。小麦の種のように増えていきます。6月1日まで東京で開催された「ルーブル美術館展」にダーフィット・テニールスⅡ世の『慈悲の七つの行い』(1640年)がありました。マタイ福音書25:35にある6つの慈悲―1飢えていた時に食べさせ、2のどが渇いていた時に飲ませ、3旅をしていた時に宿を貸し、4裸の時に着せ、5病気の時に見舞い、6牢にいたときに訪ねる、それにもう一つ追加された慈悲として死者の埋葬です。これらは主イエスに喜ばれること、そして祝福された命への道なのです。

6月15日のみことば

「慈しみ深い人は自分の魂を益し、残酷な者は自分の身に煩いを得る。」(箴言11:17)

「慈しみ深い人」とは他者に責任ある態度をとり、思いやりのある人のことです。友情に厚い人はいつも平安で、多くの善意に出会うでしょう。「彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。」(伝道の書4:10)。しかし無慈悲な者、残酷な者、残忍な者は、本当に助けが必要な時にそれを見いだすことは決してできないのです。

6月16日のみことば

「慈善は命への確かな道。悪を追求する者は死に至る。」(箴言11:19)

「慈善を蒔く人」「義を蒔く人」「善意を蒔く人」は素晴らしい連鎖反応を引き起こします。小麦の種のように増えていきます。6月1日まで東京で開催された「ルーブル美術館展」にダーフィット・テニールスⅡ世の『慈悲の七つの行い』(1640年)がありました。マタイ福音書25:35にある6つの慈悲―1飢えていた時に食べさせ、2のどが渇いていた時に飲ませ、3旅をしていた時に宿を貸し、4裸の時に着せ、5病気の時に見舞い、6牢にいたときに訪ねる、それにもう一つ追加された慈悲として死者の埋葬です。これらは主イエスに喜ばれること、そして祝福された命への道なのです。

6月14日のみことば

「指導しなければ民は滅びるが/参議が多ければ救われる。」(箴言11:14)

「船頭多くして船山に登る」と言います。しかし反対に「三人寄れば文殊の知恵」とも言います。心を一つにできる仲間が集まってそれぞれの知恵を結集できるなら、どんな大きな課題も楽々と乗り越え、さらに発展することができるでしょう。私たち信仰者の場合はその上に、いいえ決定的に、神の導きと知恵を頂くのですから、大安心だと言えます。

6月15日のみことば

「慈しみ深い人は自分の魂を益し、残酷な者は自分の身に煩いを得る。」(箴言11:17)

「慈しみ深い人」とは他者に責任ある態度をとり、思いやりのある人のことです。友情に厚い人はいつも平安で、多くの善意に出会うでしょう。「彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。」(伝道の書4:10)。しかし無慈悲な者、残酷な者、残忍な者は、本当に助けが必要な時にそれを見いだすことは決してできないのです。

6月13日のみことば

「悪口を言い歩く者は秘密をもらす。誠実な人は事を秘めておく。」(箴言11:13)

ユダヤ人賢者の言葉ですが、人が友人にある秘密を打ち明け、「分かりましたか」と言った時、友人は「確かに分かったが、忘れた」と答えたそうです。牧師には守秘義務があります。「誰にも言わないで」と言われたことは固く守秘してきました。ただイエス様だけには祈りの中でお話し、相談者のために適切な導きと豊かな祝福をお与えくださいと祈ってきました。〈忘れる〉ことは知恵ですが、〈祈り〉はもっと優れた知恵だと思います。

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