5月23日のみことば

「神に従う人の名は祝福され、神に逆らう者の名は朽ちる」(箴言10:7)

「名」は単に名前という以上に、その人自身の人格を表します。神に意図的に逆らう人は「朽ちる」「朽ち果てる」のです。詩編37:36には、横暴を極めた人は「時が立てば彼は消え失せ、探しても見いだすことはできない」と記されています。反対に神に従うことを喜びとする人は、生きている間も恵みで満たされ、召されてからも人々に喜びのうちに記憶され、想起する人々に力と励ましを与えるのです。

5月21日のみことば

「手のひらに欺きがあれば貧乏になる。勤勉な人の手は富をもたらす」(箴言10:4)

「たいがいのやりそこなった人生は、全然仕事を持たないか、仕事をもっていてもそれがあまりに少なすぎるか、あるいは正しい仕事を持たないところに、根本の原因がある」(カール・ヒルティ)。箴言の知恵の教師はもう一つを付け加えるでしょう、「神が与えてくださった仕事を感謝し、神の栄光と隣人の幸福のために誠実に勤勉に行うこと。その結果あなたは驚くほどの祝福に満たされるだろう」と。

5月22日のみことば

「神に従う人は頭に祝福を受ける。神に逆らう者は口に不法を隠す」(箴言10:6)

神をないがしろにする人の言葉は不法を、即ち嘲り、偽り、非難、中傷を隠しており、聞く者を深く傷つけます。反対に神の言葉はどうでしょう? 「頭に祝福を受ける」と言います。ある聖書学者は「祝福は雨のように注がれる」と訳しています。優しい梅雨が植物を生き生きとさせ、葉の緑を鮮やかなものにするように、神の言葉はその人に豊かな祝福をもたらし、日々を生き生きとしたものにするというのです。今日も神に従う者でありたいと願います。

5月20日のみことば

「不正による富は頼りにならない。慈善は死から救う」(箴言10:2)

搾取や詐欺などの不正によって得た富、隣人への悪口によって成り立っている連帯など決して長続きしません。それは鉄筋の入っていないコンクリートのようなもの、やがて必ず崩壊します。隣人への誠実さと愛、それこそ神が祝福したもうもの。神はそのような人を様々な苦しみや絶望から必ず救ってくださいます。また隣人もそのような人を放置しません。

5月21日のみことば

「手のひらに欺きがあれば貧乏になる。勤勉な人の手は富をもたらす」(箴言10:4)

「たいがいのやりそこなった人生は、全然仕事を持たないか、仕事をもっていてもそれがあまりに少なすぎるか、あるいは正しい仕事を持たないところに、根本の原因がある」(カール・ヒルティ)。箴言の知恵の教師はもう一つを付け加えるでしょう、「神が与えてくださった仕事を感謝し、神の栄光と隣人の幸福のために誠実に勤勉に行うこと。その結果あなたは驚くほどの祝福に満たされるだろう」と。

5月19日のみことば

「主を畏れることは知恵の初め。聖なる方を知ることは分別の初め。わたし(知恵)によって、あなたの命の日々も、その年月も増す」(箴言9:10~11)

諺に「賢い人が最初にすることを、愚かな人は後にする」とあります。私を愛しておられる神を知ることこそ最初にすべきことであり、その神の知恵に従って生きるなら命の日々は祝福で満たされ、その年月も増すというのです。アルフォンス・デーケン先生が「不幸な人の特徴」6項目挙げていましたが、その中の一つは「信じない人、愛せない人」。キリストも「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。今日一日あなたに注がれている神の愛を心から信じて歩んでほしいと思います。

5月20日のみことば

「不正による富は頼りにならない。慈善は死から救う」(箴言10:2)

搾取や詐欺などの不正によって得た富、隣人への悪口によって成り立っている連帯など決して長続きしません。それは鉄筋の入っていないコンクリートのようなもの、やがて必ず崩壊します。隣人への誠実さと愛、それこそ神が祝福したもうもの。神はそのような人を様々な苦しみや絶望から必ず救ってくださいます。また隣人もそのような人を放置しません。

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