5月18日のみことば

 

「知恵ある人を叱れ。彼はあなたを愛するだろう」(箴言9:8)

傲慢な人に助言を与えれば、罵り、嘲り、侮り、憎まれかねません。しかし知恵ある人、謙遜な人は、厳しい助言を受けても、その背後に助言者の愛があることを知っていますから一層愛するようになるというのです。助言するにも知恵が要ります。だれに、いつ、どんな言葉で助言するのか、何よりも助言しようとする自分は本当に相手を愛し、その幸せを願っているだろうか、その吟味が大切です。

5月19日のみことば

「主を畏れることは知恵の初め。聖なる方を知ることは分別の初め。わたし(知恵)によって、あなたの命の日々も、その年月も増す」(箴言9:10~11)

諺に「賢い人が最初にすることを、愚かな人は後にする」とあります。私を愛しておられる神を知ることこそ最初にすべきことであり、その神の知恵に従って生きるなら命の日々は祝福で満たされ、その年月も増すというのです。アルフォンス・デーケン先生が「不幸な人の特徴」6項目挙げていましたが、その中の一つは「信じない人、愛せない人」。キリストも「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。今日一日あなたに注がれている神の愛を心から信じて歩んでほしいと思います。

5月17日のみことば

「不遜な者を諭しても侮られるだけだ。神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。不遜な者を叱るな。彼はあなたを憎むだろう」(箴言9:7~8)

傲慢な人に善意で助言しても侮られ、憎まれ、傷を負うだけで、助言し甲斐がないと言うのです。プラトンは「傲慢は国家を揺るがす最大の悪徳」と言い、アリストテレスは「人間は謙遜を忘れて傲慢になって堕落する」と言っています。聖書外典のシラ書には「偉くなるほど自らへりくだれ。そうすれば主は喜んで受け入れてくださる」「高慢な者が被る災難は、手の施しようがない。彼の中には悪が深く根を下ろしている」とあります。傲慢な道ではなく謙遜の道を歩めと知恵の教師は勧めています。

5月18日のみことば

 

「知恵ある人を叱れ。彼はあなたを愛するだろう」(箴言9:8)

傲慢な人に助言を与えれば、罵り、嘲り、侮り、憎まれかねません。しかし知恵ある人、謙遜な人は、厳しい助言を受けても、その背後に助言者の愛があることを知っていますから一層愛するようになるというのです。助言するにも知恵が要ります。だれに、いつ、どんな言葉で助言するのか、何よりも助言しようとする自分は本当に相手を愛し、その幸せを願っているだろうか、その吟味が大切です。

5月16日のみことば

「知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた」(箴言9:1~6)

知恵の学校、それは美しく彫刻された七本の柱による内廊がある立派な建物であり、テーブルの上にはさまざまな食事と多くのぶどう酒が用意されています。それは知恵の学校の素晴らしさと教えられる知恵の豊かさを象徴しています。そしてこう呼びかけるのです。「誰でも立ち寄るがよい。浅はかさを捨て、命を得るために、分別の道を進むために」。現代における知恵の学校、それは教会ではないでしょうか。軽率な思いを捨て、神と人について熟慮し、確実に命への道を選び取り、示された祝福への道を力強く歩むことを教える場です。

5月17日のみことば

「不遜な者を諭しても侮られるだけだ。神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。不遜な者を叱るな。彼はあなたを憎むだろう」(箴言9:7~8)

傲慢な人に善意で助言しても侮られ、憎まれ、傷を負うだけで、助言し甲斐がないと言うのです。プラトンは「傲慢は国家を揺るがす最大の悪徳」と言い、アリストテレスは「人間は謙遜を忘れて傲慢になって堕落する」と言っています。聖書外典のシラ書には「偉くなるほど自らへりくだれ。そうすれば主は喜んで受け入れてくださる」「高慢な者が被る災難は、手の施しようがない。彼の中には悪が深く根を下ろしている」とあります。傲慢な道ではなく謙遜の道を歩めと知恵の教師は勧めています。

5月15日のみことば

「わたし(知恵)を見失う者は魂を損なう。わたしを憎む者は死を愛する者」(箴言8:36)

前節で「わたし(知恵)を見いだす者は命を見いだし」とありました。知恵は祝福に満ちた命への道なのです。反対に知恵を見失う人は命への道を見失うこと、知恵を憎み意識的にそれから離れる人は死を愛することと同じです。ある牧師が台風一過の高速道路を車で走っていたら前方に看板「この先ない」。「!?」。よくみたら「あ」と「ぶ」の文字が欠落、「この先あぶない」だったというのです。どちらにしても要注意! ところであなたの前にはどんな看板がありますか?「この先溢れる祝福」であってほしいと思います。

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