11月2日のみことば

我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。我らの心は喜び、聖なる御名に依り頼む。主よ、あなたの慈しみが我らの上にあるように、主を待ち望む我らの上に。(詩編33:20~22)

この御言葉に出会うと『讃美歌21』の241番「来たりたまえわれらの主よ」を思い出します。「来たりたまえわれらの主よ、主を待ち続ける民に。恵みの主よ、今降り、この世の暗きをやぶり、永遠の光与えたまえ」。キリストの救いを待ち続ける者は決して失望しません。必ず大いなる恵み、慈しみをもってお答えになるからです。

10月31日のみことば

わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。(詩編34:4)

個人として神をたたえること、あがめること、それも大切でしょう。しかし詩人は公同の礼拝へと私たちを招くのです。それが一番大切なことだからです。信仰者は共に神をたたえる喜び、心をひとつにして御名をあがめることの素晴らしさを知っている人です。相手の讃美の声が私を励まし、私を一層の喜びへと押し出す、これが公同の礼拝なのです。

11月1日のみことば

どのようなときも、わたしは主をたたえ、わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。(詩編34:2)

愛に富む神を賛美することは私たちの喜びに満ちたつとめです。『新生讃美歌』に「主にすがるわれに悩みはなし、十字架のみ許に荷を降ろせば、歌いつつ歩まん、ハレルヤ、ハレルヤ、歌いつつ歩まん、この世の旅路を」(437番)とあります。来るべき週も讃美しつつ力強く歩みましょう。

10月30日のみことば

主を仰ぎ見る人は光を仰ぎ、辱めに顔を伏せることはない。(詩編34:6)

私は小学5年生、10歳の時イエス様を信じました。今65才です。55年間の信仰生活を振り返ってみると、課題はありましたが、行き詰まりや失望はありませんでした。「主を仰ぎ見る人は光りを仰ぎ」とあるとおり、いつも新しい喜びと希望と力を頂いてきました。だからこれからもこの道を歩みます。

10月31日のみことば

わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。(詩編34:4)

個人として神をたたえること、あがめること、それも大切でしょう。しかし詩人は公同の礼拝へと私たちを招くのです。それが一番大切なことだからです。信仰者は共に神をたたえる喜び、心をひとつにして御名をあがめることの素晴らしさを知っている人です。相手の讃美の声が私を励まし、私を一層の喜びへと押し出す、これが公同の礼拝なのです。

10月29日のみことば

主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人を守り助けてくださった。(詩編34:8)

列王記下7:15~17には、預言者エリシャの僕がある朝目覚めてみると、アラムの軍隊に町が包囲されているのを見て驚き恐れました。エリシャは「恐れてはならない」と言い、「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」と祈りました。すると僕の目が開かれ、エリシャと僕を神の軍勢が取り囲んで守っているのが見えたというのです。信仰の目で見る時、私たちの現実はもっと輝くものになります。

10月30日のみことば

主を仰ぎ見る人は光を仰ぎ、辱めに顔を伏せることはない。(詩編34:6)

私は小学5年生、10歳の時イエス様を信じました。今65才です。55年間の信仰生活を振り返ってみると、課題はありましたが、行き詰まりや失望はありませんでした。「主を仰ぎ見る人は光りを仰ぎ」とあるとおり、いつも新しい喜びと希望と力を頂いてきました。だからこれからもこの道を歩みます。

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