3月31日のみことば
3月31日(月)
聖なる御名を誇りとせよ。(詩編105:3)
私たちには自慢できるものや誇りがあるでしょう。あなたの誇りは何ですか。詩人は「聖なる御名」と言います。私たちを愛してくださる神、私たちの生涯を祝福しようとしておられる神、私たちの今日の歩みを導き恵みで満たしてくださる神、神の御名こそ私たちの救いと希望の源です。
3月30日のみことば
3月30日(日)
どうか、わたしの歌が御心にかなうように。(詩編103:34)
詩人は神の恵みを讃美する人ですが、彼は「わたしの歌が御心にかなうように」と祈っています。どんな歌でもよいというわけではないのです。自分の能力を誇る讃美、準備のない讃美、自己陶酔的で神の栄光を讃えない讃美は神に喜ばれません。今日は礼拝の日、真心からの讃美を捧げましょう。あなたの一週間に神の恵みをお祈りします。
3月29日のみことば
3月29日(土)
主は・・・わたしたちが塵にすぎないことを/御心に留めておられる。(詩編103:14)
親しい友を失った時、命のはかなさを痛感します。詩人は「人の生涯は草のよう。…風がその上に吹けば、消えうせ、生えていた所を知る者もなくなる」と詠んでいます。しかしそんな私たちの命を神は御心に留めておられるのです。神に覚えられている命は決して軽くはありません。尊い命です。今日という日をくださった神に感謝しつつ精一杯生きて美しい花一輪を咲かせましょう。神に献げるために。
3月30日のみことば
3月30日(日)
どうか、わたしの歌が御心にかなうように。(詩編103:34)
詩人は神の恵みを讃美する人ですが、彼は「わたしの歌が御心にかなうように」と祈っています。どんな歌でもよいというわけではないのです。自分の能力を誇る讃美、準備のない讃美、自己陶酔的で神の栄光を讃えない讃美は神に喜ばれません。今日は礼拝の日、真心からの讃美を捧げましょう。あなたの一週間に神の恵みをお祈りします。
3月28日のみことば
3月28日(金)
わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。(詩編103:2)
私たちは神の計らいに気付かないし、気付いても忘れ易いです。しかし神は私たちのために昨日も素晴らしい計らいをしてくださっていたのです。ある時私はある施設に一人の方を訪問しました。「先生にお会いしたいと思っていた」と笑顔で言われ、ご自分が活けた花を見せてくださいました。そこに一人の女性が通りかかり、「踊先生、お久しぶりです」と声をかけられました。20年前西南学院教会で結婚式を挙げた方で、お父様が同じ施設に入所しておられるとのこと。私には単なる偶然とは思えませんでした。もしその時間に来所しなかったらお会いできなかったわけで、私は神の特別の御計らいだと思いました。夜休む時、そんな神の計らいの数々に感謝しました。今日もそんな特別な御計らいに包まれて私たちは歩むのです。
3月29日のみことば
3月29日(土)
主は・・・わたしたちが塵にすぎないことを/御心に留めておられる。(詩編103:14)
親しい友を失った時、命のはかなさを痛感します。詩人は「人の生涯は草のよう。…風がその上に吹けば、消えうせ、生えていた所を知る者もなくなる」と詠んでいます。しかしそんな私たちの命を神は御心に留めておられるのです。神に覚えられている命は決して軽くはありません。尊い命です。今日という日をくださった神に感謝しつつ精一杯生きて美しい花一輪を咲かせましょう。神に献げるために。
3月28日のみことば
3月28日(金)
わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。(詩編103:2)
私たちは神の計らいに気付かないし、気付いても忘れ易いです。しかし神は私たちのために昨日も素晴らしい計らいをしてくださっていたのです。ある時私はある施設に一人の方を訪問しました。「先生にお会いしたいと思っていた」と笑顔で言われ、ご自分が活けた花を見せてくださいました。そこに一人の女性が通りかかり、「踊先生、お久しぶりです」と声をかけられました。20年前西南学院教会で結婚式を挙げた方で、お父様が同じ施設に入所しておられるとのこと。私には単なる偶然とは思えませんでした。もしその時間に来所しなかったらお会いできなかったわけで、私は神の特別の御計らいだと思いました。夜休む時、そんな神の計らいの数々に感謝しました。今日もそんな特別な御計らいに包まれて私たちは歩むのです。