2月28日のみことば

2月28日(金)

あなたの定めはわたしの楽しみです。わたしに良い考えを与えてくれます(詩編119:24)

私たちの心はしばしば堂々巡りを始めます、悪い考えから悪い考えに。どこかでこれを断ち切らねば・・・。詩人は神の言葉は「わたしに良い考えを与えてくれます」と言います。その通りです。神の言葉が私たちの心を照らす時、神が私たちと共にいてくださること、神が私を守り、私のためにすばらしい働きをしてくださることに気付かされるのです。こうして私たちは希望に満ちた今日を予感することができます。だから神の言葉を読むことは「わたしの楽しみ」なのです。

3月1日のみことば

3月1日(土)

偽りの道をわたしから遠ざけ/憐れんで、あなたの律法をお与えください。信仰の道をわたしは選び取りました。(詩編119:29~30)

二つの道がある。一つは「偽りの道」、もう一つは「信仰の道」。口語訳では「信仰の道」を「真理の道」と訳しています。私たちは折りに触れて問わねばなりません。自分は今「信仰の道」「真理の道」を歩いているだろうか、と。主イエス・キリストは、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)と言われました。『こどもさんびか』には「しゅイエスのみちを」という歌があります。「しゅイエスのみちをあるこうまっすぐに、しんりのみちをあるこうまよわずに、しゅイエスはみちです、しんりです、いのちです、いのちのみちをあるこうおわりまで」。明日は主日、礼拝の日、恵みを豊かに頂く日になりますように。

2月27日のみことば

2月27日(木)

今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを。(詩編118:24~25)

「昔は良かったが、今はだめだ!」こういう生き方は福音的ではありません。「昨日も良い日だった、今日はもっと良い日にちがいない!」これこそ福音的な生き方というものです。詩人は「今日こそ主の御業の日」と言い、だから「今日を喜び祝い、喜び躍ろう」と言います。今日、主がなさるすばらしい御業に注目しましょう!

2月28日のみことば

2月28日(金)

あなたの定めはわたしの楽しみです。わたしに良い考えを与えてくれます(詩編119:24)

私たちの心はしばしば堂々巡りを始めます、悪い考えから悪い考えに。どこかでこれを断ち切らねば・・・。詩人は神の言葉は「わたしに良い考えを与えてくれます」と言います。その通りです。神の言葉が私たちの心を照らす時、神が私たちと共にいてくださること、神が私を守り、私のためにすばらしい働きをしてくださることに気付かされるのです。こうして私たちは希望に満ちた今日を予感することができます。だから神の言葉を読むことは「わたしの楽しみ」なのです。

2月26日のみことば

2月26日(水)

御救いを喜び歌う声が主に従う人の天幕に響く。(詩編118:15)

不愉快は不愉快を、不平は不平を、愚痴は愚痴を呼びます。伝染力が強いのです。しかし喜びも伝わります。喜びに満ち溢れている場に自らを置くと、不思議なことに自分の心にも喜びがやってきます。神の恵み、神の救いを喜び歌う声が礼拝堂には満ち溢れています。そこにあなたの身を置くことを心からお勧めします。

2月27日のみことば

2月27日(木)

今日こそ主の御業の日。今日を喜び祝い、喜び躍ろう。どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを。(詩編118:24~25)

「昔は良かったが、今はだめだ!」こういう生き方は福音的ではありません。「昨日も良い日だった、今日はもっと良い日にちがいない!」これこそ福音的な生き方というものです。詩人は「今日こそ主の御業の日」と言い、だから「今日を喜び祝い、喜び躍ろう」と言います。今日、主がなさるすばらしい御業に注目しましょう!

2月25日のみことば

月25日(火)

苦難のはざまから主を呼び求めると/主は答えてわたしを解き放たれた。主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。(詩編118:5~9)

「はざま」とは「物と物との間のせまいところ」「谷あい」という意味、つまり苦難と苦難が押し迫っている状況。そういう状況に置かれた時、私たちはどうすればいいのでしょうか。詩人は「主を呼び求める」と言います。周囲は苦難に取り囲まれていても、神に通じる天の窓は開いています。私たちはもっと天に向かって目を上げることが必要なのです。そこに「わたしの味方」である神がいらっしゃる! そのことに気付いた時、私たちは一切の不要な恐れから解放されるのです。

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