2月20日のみことば
2月20日(木)
御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。(詩編119:130)
自分には知恵もあり経験もあると思う時があります。そういう時は案外傲慢になっ
ています。しかしその知恵も経験もまるで役に立たないような苦しいことが人生に
は訪れます。神の言葉が真価を発揮するのはそんな時です。真剣に問う私たちの心
の闇に御言葉の光が射し込んでくる、そして事態の正しい理解正しい対処へと導か
れる、そうなると勝利は私たちのものです。
2月21日のみことば
2月21日(金)
あなたが分からせてくだされば、あなたの定めを知ることができます。(詩編119:125)
私たちはしばしば神の愛、神の真実が分からないと言います。しかし詩人は「あなたが分からせてくだされば」と言います。神は私たちが遭遇する苦しみを通してそのことを分からせてくださることもあります。河野進先生の「病まなければ」という詩はそのことを私たちに教えています。
病まなければ捧げ得ない祈りがある 病まなければ信じ得ない奇跡がある
病まなければ聞き得ない御言がある 病まなければ近づき得ない聖所がある
病まなければ仰ぎ得ない聖顔がある おゝ病まなければ 私は人間でさえもあり得なかった
ひょっとすると、今直面している苦しみは、それなのかもしれませんね。今日の働きのためにお祈りしています。
2月19日のみことば
2月19日(水)
主よ、あなたは近くいてくださいます。あなたの戒めはすべて真実です。
(詩編119:151)
神は私たちと関わりないほど遠くにいるのではありません。私たちの近くにいて、
悲しみ、苦しみに共感してくださるのです。共感共苦してくださるのです。「まば
たきの詩人」と言われた水野源三氏は最愛の母の死に際して、「主よ、あなたも泣
いてくださるのですね」と詠んだ。神は一緒に泣き、一緒に喜んでくださる方なの
です。
2月20日のみことば
2月20日(木)
御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。(詩編119:130)
自分には知恵もあり経験もあると思う時があります。そういう時は案外傲慢になっ
ています。しかしその知恵も経験もまるで役に立たないような苦しいことが人生に
は訪れます。神の言葉が真価を発揮するのはそんな時です。真剣に問う私たちの心
の闇に御言葉の光が射し込んでくる、そして事態の正しい理解正しい対処へと導か
れる、そうなると勝利は私たちのものです。
2月18日のみことば
2月18日(火)
主よ、慈しみ深くわたしの声を聞き、あなたの裁きによって命を得させてください。(詩編119:149)
話の聞き方にもいろいろです。面倒くさそうに聞く人、うわの空で聞く人、イライラしながら聞く人もいるでしょう。でも神は「慈しみ深く」聞いてくださるというのです。そういえば、これまでの信仰生活で、神からうるさがられて祈りを断られたことは一度もありませんでした。それどころか、もっと祈るように促されました。ある老婦人が牧師に、「先生、人に言えば愚痴になりますが、神様に申し上げれば、それは祈りになりますからね」と言ったそうです。祈りの素晴らしさを経験している人の言葉です。じっと聞いてくださる方がいるというだけで、私たちは慰められ、癒され、元気づけられます。神の耳は今日もあなたに向かっているのです。
2月19日のみことば
2月19日(水)
主よ、あなたは近くいてくださいます。あなたの戒めはすべて真実です。
(詩編119:151)
神は私たちと関わりないほど遠くにいるのではありません。私たちの近くにいて、
悲しみ、苦しみに共感してくださるのです。共感共苦してくださるのです。「まば
たきの詩人」と言われた水野源三氏は最愛の母の死に際して、「主よ、あなたも泣
いてくださるのですね」と詠んだ。神は一緒に泣き、一緒に喜んでくださる方なの
です。
2月17日のみことば
2月17日(月)
主よ、御言葉をあるがままに理解させてください。(詩編119:169)
「御言葉をあるがままに理解させてください」と詩人は言います。あれこれ詮索し、その力を台無しにしてはなりません。金の卵を産むガチョウの話のように、その腹の中には金の塊があると思って殺してしまうような愚かなことをしてはならないのです。御言葉の力を日々の生活の中で体験しましょう。そのためにはとりあえず「あるがままに理解」してみることです。心の中に静かに不思議な力が沸き起こってくるにちがいありません。この一週間が恵みにあふれた時になりますように。