答:いいえ、私もやはりそこから落ちて失われているのです。この世の混沌の中に巻き込まれ、無力で虚しく、罪を犯しています。ただ私はいつも聞いて信じたい、神と共にありたいと切に願っています。「無信仰な私を助けてください」。
「はい、いつも…」と答えたいですが、「いいえ」と正直に答えています。そして「いつも聞いて信じたい」「神と共にありたい」と正直に願っています。信仰生活においてはこのような正直さこそが大切です。神はそのような心を尊ばれますから。
人に対して自分を殊更立派に見せようとするのは、他の羽根を自分の体にくっつけた愚かなカラスのようです。ありのままでいいのです。神に対して「わたしはあなたの祝福を受けるに値する人間です」と言うのは傲慢でしょう。誰よりも自分自身がそのことをよく知っています。謙遜な心で祈る者でありたいです。
「無信仰な私を助けてください」。これはマルコ9:24の言葉です。汚れた霊につかれた息子の救いを願った父親の言葉です。彼は、自分には信仰は少しはあるが、もう少し足りないと言っているのではないのです。「無信仰な私」「信仰のない私」を助けてくださいと言っているのです。人生の課題に取り組むには、少々の信仰、飾り物程度の信仰では間に合わないでしょう。本物の信仰でなければ…。それは主イエスによって与えられ、支えられ、増し加えられるものなのです。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ22:32)。
今日もご一緒に祈りたいですね。「信仰のない私をお助けください」。