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「オリブの若葉」讃美歌にまつわるエピソードその1

子どものころに歌った讃美歌の思い出小学校のころ、教会学校で歌った「しゅにしたがいゆくは」は今でも時々口ずさむ讃美歌です。子どものころ、みあとをふみつつ 共にすすまんみあとをふみつつ うたいてすすまんのところは、イエスさまのおおきな足がぐんぐん進む後を追って、腕を勢いよく振り、

オリブの若葉とは

「オリブの若葉」第一号は1983年5月8日に発行されました。タイトルは、創世記8章10節~11節、ノアの箱舟から放った鳩がオリブの若葉をくわえて帰ってきた箇所に由来します。第一号の冒頭には、「『絶望だ』と思わざるをえない時、神の恵みが、われわれの思いよりもはるかに大きく、無限であることを知るので

「主イエスの福音は希望」

「棚卸し」とは「決算などの際に、商品・製品・原材料などの在庫を調査して数量を確かめること」です。私たちの心も折々に棚卸しが必要です。今、私たちの心には希望はあるでしょうか。神学者E・ブルンナーは「希望とは人間にとって空気中に含まれている酸素のようなものだ」と言い、「希望の神学」の提唱者ユルゲ

「祈りは私たちの生活」

信仰生活の手引き『現代キリスト教問答』(松木治三郎他著)の第六章は「祈り」です。 問 私たちには、いろいろの思い煩いや何かを訴えたい心や切なる願望などがあります。これらも祈りと関係が    ありますか。 答 ないことはありません。しかし、あれこれ思い煩わないで、自分の求め訴えたいこと

「すべての母に祝福あれ」

故河野進牧師は詩人でもあり、母についての美しく優しい詩を50年以上も作り続けたました。      「いつでも」  お母さんの詩は  不思議に  うれしく作れます  二十才の頃も  八十才の今も  お母さんの詩を  作るときは  いつもこどもに返ります   

「聖書と私たち」

主イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言われました。旧約の預言者アモスは「わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく/水に渇くことでもなく/主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」(アモス8:11)と語りました。心の飢え渇きを本当に癒すも

「イエスの復活の意味」

主イエスは十字架上にお亡くなりになりましたが、その十字架は何を告げているのでしょうか。第一に神の存在を否定し罪を重ねる人間の姿です。「神を知らぬ者は心に言う、『神などない』と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする」(詩編53:2)。神を否定する人間は平気で罪深いことをしがちです。第二に主の愛の

「イエスの十字架の意味」

十字架は最も過酷な刑罰でした。ローマ帝国は逃亡奴隷や反逆者に対してこれを執行しました。主イエスの十字架には「これはユダヤ人の王」という札がつけられており、ローマへの反逆者として処刑されたのです。ローマの哲学者セネカはこう言っています。「一瞬の内に息を引き取るよりも、拷問の責苦の中で衰弱し、徐

「バプテスマと主の晩餐」

問 主の晩餐について学びましょう。礼拝の中でも特に主の晩餐が重んじられるのですね。答 教会は、その初めから主の晩餐をまもるために集まりました。一度限りのバプテスマが、主の晩餐によってくり返され、バプテスマの意味が新しく生き生きと経験され、確かめられるのです。それですから、主の晩餐は私たちの信

「イエスとニコデモ」

宗教改革者マルティン・ルターはヨハネ福音書3章の講解において「人は良い歌は二度歌う」「人は王や君侯の手紙は二度、三度と繰り返し読むべきである」「聖書の言葉は繰り返し熱心に聞かなければならない」と言っています。主イエスとニコデモの間でなされた新生問答もその一つです。ニコデモが主イエスのもとにやって

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