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二つの記念

「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」(マルコ14:3)これは主イエスに高価なナルドの香油を注いだ女性の話です。弟子たちは「無駄遣いだ、そ

新しい言葉を全世界に

「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」(マルコ16:14)「かたくなな心」とは乾燥して固くなった心、マルコ四章の譬えで言うと「道端」のような心で、そこに蒔かれた種は鳥が食べて

ガリラヤでお目にかかれる

マルコとマタイの福音書は主と弟子たちの再会の場はガリラヤであるのと告げ、ルカ福音書は弟子たちにエルサレムに留まるよう促しています。ルカは、福音はエルサレムから全世界に向かって扇状に拡大するという神学を持っているのです。それに対し、マルコとマタイはガリラヤこそ主イエスが福音宣教を開始され、弟子たち

マタイ受難曲と私

「マタイ受難曲」は、バッハが亡くなった後しばらくは上演されず埋もれていました。当時の礼拝用音楽はそういうものだったようです。しかしその素晴らしさに気づき、再び演奏を試みたのはメンデルスゾーンでした。1829年、20才の彼はベルリンのコンサートホールで自ら指揮してこの曲を上演したのです。会場にはプロイ

主の十字架の前に立って 2020.4.5

主は十字架上で七つの言葉を語られました。第一の言葉(ルカ23:34) 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」第二の言葉(ルカ23:43) 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」第三の言葉(ヨハネ19:26~27) 「婦人よ

「マルコ福音書と私たち」

マルコ福音書は紀元七〇年代に最初に書かれた福音書、「詳細な導入部をもった受難物語」です。内容は大きく分けて一章一五節までは序論、九章まではガリラヤとその周辺の異邦人の地での活動、一〇章はエルサレムへの旅、その後にエルサレムでの受難と復活が記されています。著者は主イエスを取り巻く人々の心の動きを丁

「レント(受難節)への招き」

主にあって愛する兄弟姉妹。代々の教会は我らの主の苦難と復活とを記念するこの期節を、深い献身の思いを込めて守ってきました。深い悔改めと祈りの時としてこれを守り、イースターに備えることが教会のならわしとなったのです。信仰に導かれた者が、キリストの体なる教会に加えられるためのバプテスマの準備の時として

生き生きとした希望

希望についてある人がこう言いました。「希望とは空気中の酸素のようなものだ。それがなければ人は生きることができない」。「希望の神学」を提唱したユルゲン・モルトマンが一九九六年一○月に来日、東京・信濃町教会や関西学院大学などで講演しました。私はそれに参加し深い感銘を受けました。「希望ではなく、不安が

希望のしるしとしての教会

私たちの教会は毎年二月の第一主日をバプテストデーとして守っています。この目的は、自たちの教派だけが正しいと主張するためではありません。バプテストの歴史や特徴を知り、そ上で他教派とより良い協力関係を築いて、共に主イエス・キリストのご栄光を表したいのです。N・H・メアリングとW・S・ハドソ ンの共著

祝された讃美礼拝

10月20日(日)午前10時30分からの伝道主日礼拝と午後1時から第2礼拝をおこないました。アメリカのダラスにあるパークシティ・バプテスト教会より音楽主事のセーラ・マランツ先生と聖歌隊員の石黒洋子さんをお迎えしました。主日礼拝には158名が、第2礼拝には74名がお集まりくださいました。お二人の讃美と

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