1月8日のみことば

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)

もう一度赤ちゃんとして生まれるという意味ではありません。内面的な新生で、それは信仰を通して生じるのです。ルターは、キリストは私たちを「根底から建て直す」「心を清める」「正しく、神を畏れる人になる」、そして「よい行い」をする者となる、と教えています。今年は信仰を深め、神の愛と恵み深さを日々体験したいと願います。

1月9日のみことば

「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5)

これは「新たに生まれる方法」を問うたニコデモに対するキリストの答です。霊とは神の力、水とはバプテスマ。ルターは「聖霊はあなたの中に新しい考えを呼び起こし、覚醒させる」と言いました。やがて彼は恵みの礼典であるバプテスマ(洗礼)へと導かれます。聖霊とバプテスマ(洗礼)が人を根底から新しくします。

1月7日のみことば

「さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人の議員であった」(ヨハネ福音書3:1)

「ニコデモ」という名は「人びとの勝利者」という意味です。彼はその名にふさわしい歩みをしてきました。ユダヤ教のエリートであるファリサイ派の一員であり、しかも70人で構成される最高議会の一員なのです。しかし主イエスとの出会いこそが彼を真の勝利者にしていくことになります。今年私たちにもキリストとの真の出会いが生じますように。

1月8日のみことば

「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)

もう一度赤ちゃんとして生まれるという意味ではありません。内面的な新生で、それは信仰を通して生じるのです。ルターは、キリストは私たちを「根底から建て直す」「心を清める」「正しく、神を畏れる人になる」、そして「よい行い」をする者となる、と教えています。今年は信仰を深め、神の愛と恵み深さを日々体験したいと願います。

1月7日のみことば

「さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人の議員であった」(ヨハネ福音書3:1)

「ニコデモ」という名は「人びとの勝利者」という意味です。彼はその名にふさわしい歩みをしてきました。ユダヤ教のエリートであるファリサイ派の一員であり、しかも70人で構成される最高議会の一員なのです。しかし主イエスとの出会いこそが彼を真の勝利者にしていくことになります。今年私たちにもキリストとの真の出会いが生じますように。

1月5日のみことば

「あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる」(箴言31:30)

聖書は美しさを否定していません。その証拠にアブラハムの妻サラは「美しい」とあり、イサクの妻リベカは「際立って美しく」と記されています。しかし美しさにだけ頼る生き方に警告しています。何よりも神への信仰と愛、そこから生じる美しさを重んじているのです。サラもリベカもそのような女性だったと思います。

1月4日のみことば

「息子らは立って彼女を幸いな人と呼び、夫は彼女をたたえて言う。『有能な女は多いが、あなたはなお、そのすべてにまさる』と」(箴言31:28-29)

年老いた母親を軽んじる子ども、妻を軽く扱う夫は案外多いのかもしれません。しかしこの家庭の子どもたちは違います。母親がこれからも幸福であることを祈り、夫は彼女を心から賞賛するのです。素晴らしい母子、麗しい夫婦、望ましい家庭の姿があります。

TOP