1月13日のみことば

「どこにいるのか」(創世記3:9)

アダムとエバはサタンに誘惑され、神の戒めを無視し、善悪を知る木の実を取って食べました。その時彼らが知ったのは自分の弱さでした。神を恐れて姿を隠した彼らに、神は「どこにいるのか」と問われます。この問いは居場所の問題ではなく、神との関係を問う言葉です。「あなたは今、私と正しい、祝福に満ちた関係にあるか?」。

1月11日のみことば

「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)

神がお造りになったすべてのものは「極めて良かった」のです。それは意味と目的があり、美と調和があったのです。人間はしばしばそれを破壊してしまいますが、神の愛に心を向け、神の言葉に添うて生きる時、そこに本当の幸いが生じてくるのです。

1月⒓日のみことば

「彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2:18)

創世記2章にはアダムとエバの創造物語が記されています。男女の関係は支配や対立の関係ではなく、互いを「助ける者」として造られているのです。相手を助けるところに本当の喜びがあり、また助けられるところに大きな幸せがあります。

1月10日のみことば

「光あれ」(創世記1:3)

モーセが十戒を授かったと言われるシナイ山の山頂で朝日を見ました。もう30年近く前のことです。隆々と登って来る朝日に胸が震えました。神が「光あれ」と言われ、闇に光が生じた光景を目撃した人がいたとすれば、どれほど大きな感動を覚えたことでしょうか。「光あれ」、神は私たちの人生にも希望の光を与えてくださいます。

1月11日のみことば

「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)

神がお造りになったすべてのものは「極めて良かった」のです。それは意味と目的があり、美と調和があったのです。人間はしばしばそれを破壊してしまいますが、神の愛に心を向け、神の言葉に添うて生きる時、そこに本当の幸いが生じてくるのです。

1月9日のみことば

「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5)

これは「新たに生まれる方法」を問うたニコデモに対するキリストの答です。霊とは神の力、水とはバプテスマ。ルターは「聖霊はあなたの中に新しい考えを呼び起こし、覚醒させる」と言いました。やがて彼は恵みの礼典であるバプテスマ(洗礼)へと導かれます。聖霊とバプテスマ(洗礼)が人を根底から新しくします。

1月10日のみことば

「光あれ」(創世記1:3)

モーセが十戒を授かったと言われるシナイ山の山頂で朝日を見ました。もう30年近く前のことです。隆々と登って来る朝日に胸が震えました。神が「光あれ」と言われ、闇に光が生じた光景を目撃した人がいたとすれば、どれほど大きな感動を覚えたことでしょうか。「光あれ」、神は私たちの人生にも希望の光を与えてくださいます。

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