5月9日のみことば

「わたしを愛する人は嗣業を得る。わたしは彼らの倉を満たす」(箴言8:21)

「わたし」とは神からの知恵のこと。知恵を愛する人、喜んで耳を傾ける人、知恵に従って生きることを選び取る人は、「嗣業を得る」とあります。「嗣業」という言葉は日本語の辞書には出てきませんが、その意味は、神から受け継いだ賜物、具体的には土地、富など相続財産、占有物などのことです。彼らの倉は神からの恵みであふれるばかりに満たされるというのです。神は私たちにもそうしようとしておられます。

5月7日のみことば

「わたしのもとには富と名誉があり、すぐれた財産と慈善もある」(箴言8:18)

「わたし」とは知恵のこと。知恵がもたらす生活は富と名誉と財産、そして貧しい人々を十分に配慮する慈善であることを告げています。随分前にある大先輩の牧師がユーモアをこめて「信者は儲かる!」と言われました。首をかしげていると、「〈信〉という字と〈者〉という字を寄せてごらんなさい。そうすると〈儲〉という字になるでしょう!」。みんな大爆笑、その後でみんな「うんうん」と頷きました。神様の恵み深さに思い至ったからでした。

5月8日のみことば

「慈善の道をわたしは歩き、正義の道をわたしは進む」(箴言8:20)

神はどのような生き方を望まれるのでしょうか。「慈善の道」と「正義の道」。慈善とは恵まれない人々や被害にあった人々に経済的な援助をすること。「正義」とは人の道にかなっていて正しいこと。人を裏切り、善意に対し悪意を返し、徒党を組み、人をさらなる苦しみに陥れようと企てることは、神の示される正義の道から遠く迷い出ていると知るべきです。その道に祝福はありません。知恵の教師は、私たちが今日も神に信頼し、慈善の道、正義の道、祝福の道を力強く歩むよう励ましています。

5月6日のみことば

「わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力をもつ。わたしによって王は君臨し、支配者は正しい掟を定める。君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、わたしによって治める」(箴言8:14~16)

「わたし」とは知恵のこと。当時は王、支配者、君侯、自由人、裁判官などは知恵・見分ける力を必要とする代表者でしょう。しかし現代のように個人というものが大切にされ、同時に情報が溢れている時代であれば、なおさら一人ひとりに真の知恵が必要です。直面する事柄を正しく見分け、自分の進むべき道を選び取り、勇気をもって新しい一歩を踏み出し、大いなる成果をおさめるためです。祈りと聖書を通して与えられる知恵を大切しましょう。

5月7日のみことば

「わたしのもとには富と名誉があり、すぐれた財産と慈善もある」(箴言8:18)

「わたし」とは知恵のこと。知恵がもたらす生活は富と名誉と財産、そして貧しい人々を十分に配慮する慈善であることを告げています。随分前にある大先輩の牧師がユーモアをこめて「信者は儲かる!」と言われました。首をかしげていると、「〈信〉という字と〈者〉という字を寄せてごらんなさい。そうすると〈儲〉という字になるでしょう!」。みんな大爆笑、その後でみんな「うんうん」と頷きました。神様の恵み深さに思い至ったからでした。

5月5日のみことば

「主を畏れることは、悪を憎むこと。傲慢、驕り、悪の道、暴言をはく口を、わたしは憎む」(箴言8:13)

「神を信じています」と言いながら、その生活ぶりは傲慢、驕り、暴言、悪の道、これでは神は悲しまれます。決して祝福されません。神を信じる者の生き方は何よりも神への愛、人への愛の中に現れるでしょう。西南学院の創立者C.K.ドージャー先生は臨終の床で「西南よ、キリストに忠実なれ」と遺言され、それが西南学院の建学の精神となりました。ご子息E.B.ドージャー―先生はそれを次のようにわかりやすく表現しました。「神と人とにまことと愛を」。それが私たちの生き方なのです。

5月6日のみことば

「わたしは勧告し、成功させる。わたしは見分ける力であり、威力をもつ。わたしによって王は君臨し、支配者は正しい掟を定める。君侯、自由人、正しい裁きを行う人は皆、わたしによって治める」(箴言8:14~16)

「わたし」とは知恵のこと。当時は王、支配者、君侯、自由人、裁判官などは知恵・見分ける力を必要とする代表者でしょう。しかし現代のように個人というものが大切にされ、同時に情報が溢れている時代であれば、なおさら一人ひとりに真の知恵が必要です。直面する事柄を正しく見分け、自分の進むべき道を選び取り、勇気をもって新しい一歩を踏み出し、大いなる成果をおさめるためです。祈りと聖書を通して与えられる知恵を大切しましょう。

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