3月1日のみことば

主の道は、無垢な人の力。(箴言10:29)

「主の道」とは神が私たちに示される人生の道です。それはちょうど羊飼いが行くべき道を知っており、羊たちを豊かな食物とあふれる泉に導くようなものです。羊飼いの考えは羊の考えをはるかに超えて完全です。そこには平安と力、様々な思い患いからの解放があります。Ⅰペトロ5:7「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

3月2日のみことば

神に従う人はとこしえに揺らぐことなく、神に逆らう者は地に住まいを得ない。(箴言10:30)

揺らぐのは大地だけではありません。私たちの心も恐れや不安のために大きく揺らぐのです。しかし知恵の教師は「神に従う人は揺らぐことなく」と言います。なぜでしょう?「いと高き神の慈しみに支えられ、決して揺らぐことがない」(詩編21:8)。「あなたの道をたどり、一歩一歩、揺らぐことなく進みます」(詩編17:5)。神の御手が今日もあなたをしっかりと支え、一歩一歩を力強く導いてくださいますように祈ります。

2月28日のみことば

神に従う人は待ち望んで喜びを得る。神に逆らう者は期待しても裏切られる。(箴言10:28)

私たちは神の約束の成就を待ち望みます。神は約束を破られません。この確信はやがて喜びの成就となります。エリサベツはマリアの挨拶を聞いた時、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いなことでしょう」(ルカ1:45)と言いました。私の祖母はイザヤ書のある箇所に赤鉛筆で線をを引き、その下にこう書いていました。「主よ、この約束を信じます」。神が今日あなたに本当の喜びをお与えになりますように。

3月1日のみことば

主の道は、無垢な人の力。(箴言10:29)

「主の道」とは神が私たちに示される人生の道です。それはちょうど羊飼いが行くべき道を知っており、羊たちを豊かな食物とあふれる泉に導くようなものです。羊飼いの考えは羊の考えをはるかに超えて完全です。そこには平安と力、様々な思い患いからの解放があります。Ⅰペトロ5:7「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

2月27日のみことば

神に逆らう者はつむじ風の過ぎるように消える。神に従う人はとこしえの礎。(箴言10:25)

「つむじ風」とは揺り動かし運び去る破壊力のたとえ。嵐に出会う時、悪を行う者はもみ殻のように吹き飛ばされてしまいます。「神に従う人はとこしえの礎」とあります。彼の礎は神ご自身ですから揺り動かされません。大地に立つ大木のようです。さらに神に信頼する彼の堅固な生き方は他者の生き方の手本や礎にもなるのです。苦しい状況にある時、私は信仰の先達や祖父母や両親の生き方を思い出します。すると大きな平安に満たされます。彼らは私にとって最良の手本であり堅固な礎なのです。

2月28日のみことば

神に従う人は待ち望んで喜びを得る。神に逆らう者は期待しても裏切られる。(箴言10:28)

私たちは神の約束の成就を待ち望みます。神は約束を破られません。この確信はやがて喜びの成就となります。エリサベツはマリアの挨拶を聞いた時、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いなことでしょう」(ルカ1:45)と言いました。私の祖母はイザヤ書のある箇所に赤鉛筆で線をを引き、その下にこう書いていました。「主よ、この約束を信じます」。神が今日あなたに本当の喜びをお与えになりますように。

2月26日のみことば

神に逆らう者は危惧する事に襲われる。神に従う人の願いはかなえられる。(箴言10:24)

「神に逆らう者」とは意図的・反逆的・精力的に神から離れる方向に向かって進む人のこと。知恵の教師は彼らは「危惧する事に襲われる」と警告します。その反対は「神に従う人」。「従」という漢字は「从」+「止」+「彳」で、「从」は前の人の後にうしろの人がつきしたがうこと、「止」は足、「彳」は行くの意。私たちは神の後に従って歩む者です。その時に真の幸福が得られると知恵の教師は確信をもって語ります。「主よ、私の心の願いをかなえてください」とそっと祈ってみてください。

TOP