2月20日のみことば

わたしはあなたに知恵の道を教え/まっすぐな道にあなたを導いた。(箴言4:11)

箴言には「道」という言葉が何度も出てきます。「知恵の道」「まっすぐな道」「神に逆らう者の道」「悪事を働く者の道」…。それは様々な生き方を示します。私たちは神の恵みに通じている「まっすぐな道」を選びたいと思います。この道を歩く者は日々祝福を受け、他者との良い交わりを保ち、試練にも正しく対処することができ、生活は豊かな命で溢れることでしょう。

2月18日のみことば

いかに幸いなことか(詩編1:1)

詩編巻頭のこの言葉は、主イエスが山上の説教で語られた「幸いなるかな」(マタイ5:3~12)を思い起こさせます。この幸福は並の幸せではない、大きな、大きな幸福のこと。そんな幸福な人生を神はあなたに与えようとしておられるのです。

2月19日のみことば

わが子よ、聞け、わたしの言うことを受け入れよ。そうすれば、命の年月は増す。(箴言4:10)

「箴言」はイスラエルの知恵の教師が若い人々に教えた人生の格言です。「わが子よ」という言葉には深い愛が感じられます。「わたしの言うこと」とは神の教え、それを心にしっかり受け入れるように促します。そうすると幸いな命の年月が増すというのです。私たちの今日一日もそのような日でありますように。

2月17日のみことば

いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず・・・。(詩編1:1)

岩波訳では「不法者らの集いに行かず」となっています。あなたが足を向けるべき集いは、神をないがしろにし人を悪しざまに中傷する人々の集まりではありません。神を愛し讃美する人々の集い、隣人を大切にする人々の集いです。そこに座る度にあなたは新鮮な喜びと大きな力を経験することでしょう。

2月18日のみことば

いかに幸いなことか(詩編1:1)

詩編巻頭のこの言葉は、主イエスが山上の説教で語られた「幸いなるかな」(マタイ5:3~12)を思い起こさせます。この幸福は並の幸せではない、大きな、大きな幸福のこと。そんな幸福な人生を神はあなたに与えようとしておられるのです。

2月16日のみことば

主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来たれば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(詩編1:2~3)

しおれてしまわない人生、実を豊かに結ぶ人生、ますます栄える人生、それこそ私たちの願いです。そのために必要なことは「主の教を愛し、その教を昼も夜も口ずさむ」こと。これは実行してみる価値があります。毎日御言葉を頂き、それを仕事の始めに、仕事の合間に、仕事の終わりに口ずさんでみましょう。御言葉に挟まれた働き、それは神の祝福に挟まれている働きです。

2月17日のみことば

いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず・・・。(詩編1:1)

岩波訳では「不法者らの集いに行かず」となっています。あなたが足を向けるべき集いは、神をないがしろにし人を悪しざまに中傷する人々の集まりではありません。神を愛し讃美する人々の集い、隣人を大切にする人々の集いです。そこに座る度にあなたは新鮮な喜びと大きな力を経験することでしょう。

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