2月13日のみことば

主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子」(詩編2:7)

主イエスがヨルダン川でバプテスマを受けられた時、また変貌の山に登られた時、この言葉が聞こえました(マタイ3:17、17:5)。主イエスは父なる神の独り子です。しかし主イエスは私たちもこの交わりに入れてくださり、私たちをも神の子としてくださったのです。「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。」(Ⅰヨハネ3:1口語訳)。今日何度も心の中で「わたしは神の子、神に愛されている」と言ってみましょう。自然と大きな喜びが湧き上がってくるにちがいありません。

2月11日のみことば

畏れ敬って、主に仕え、おののきつつ、喜び躍れ。(詩編2:11)

「祈りの仕方で信じ方が決まる」。これは5世紀の教会で言われた金言です。自分の願望が実現するだけを祈るのか、それとも神の御心を求めて祈るのか? あなたはどのように祈っているでしょうか。真心から「神の御心がなりますように」と祈り、躍動する喜びをもって神に仕えたいと思います。

2月12日のみことば

求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする。(詩編2:8)

神は「求めよ」と言われます。そうすれば「国々」「地の果てまで」、つまり想像もできないほど豊かな恵みが与えられると言うのです。主イエスも言われました、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)。私たちはもっと求めるべきなのです。求めない信仰者は恵みを経験しません。恵みを経験したことのない信仰者には確信がありません。今日から神の大いなる祝福を求めて始めましょう。

2月10日のみことば

多くの者がわたしに言います、「彼に神の救いなどあるものか」と。主よ、それでも、あなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方。主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えてくださいます。(詩編3:3~4)

八木重吉の詩「信仰」。「人が何と云ってもかまわぬ/どの本に何と書いてあってもかまわぬ…/自分はもっと上をつかもう/信仰以外から信仰を解くまい」。人の言葉は所詮無責任なものです。「それでも」と詩人は言います。神こそ私の盾、私の栄え、私の祈りに答えてくださる方。この信仰は揺るがないのです。

2月11日のみことば

畏れ敬って、主に仕え、おののきつつ、喜び躍れ。(詩編2:11)

「祈りの仕方で信じ方が決まる」。これは5世紀の教会で言われた金言です。自分の願望が実現するだけを祈るのか、それとも神の御心を求めて祈るのか? あなたはどのように祈っているでしょうか。真心から「神の御心がなりますように」と祈り、躍動する喜びをもって神に仕えたいと思います。

2月9日のみことばです

身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。(詩編5:8)

八木重吉の詩「キリスト」。「病気して/いろいろ自分の体のことが不安でたまらなくなると/どうしても恐ろしくて寝つかれない/しかししまいには/キリストが枕元にたって/じっと私をみていてくださるとおもうたので/やっと落ちついて眠りについた」。信仰とはありがたいものです。

2月10日のみことば

多くの者がわたしに言います、「彼に神の救いなどあるものか」と。主よ、それでも、あなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方。主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えてくださいます。(詩編3:3~4)

八木重吉の詩「信仰」。「人が何と云ってもかまわぬ/どの本に何と書いてあってもかまわぬ…/自分はもっと上をつかもう/信仰以外から信仰を解くまい」。人の言葉は所詮無責任なものです。「それでも」と詩人は言います。神こそ私の盾、私の栄え、私の祈りに答えてくださる方。この信仰は揺るがないのです。

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