10月21日のみことば

主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。(詩編36:6)

夜空を仰いでそこに輝く星の美しさに時を忘れたのはいつだったでしょうか。秋の青空を横切っていく鳥を見て、その美しさに感動したのはいつだったでしょうか。自分の足下ばかりを見て、心配したり悩んだりしていた気がします。今日私たちは大空を仰ぎ、そこに満ち溢れる神の慈しみと真実に感動したいと思います。

10月22日のみことば

神に逆らう者に罪が語りかけるのが、私の心の奥に聞こえる。(詩編36:2)

私たちの心に語りかける二つの声があります。一つは神、一つは罪。もしあなたの心に悪意が沸き起こっているなら、それは罪からの声と知るべきだし、そんな思いは断固として断ち切るべきです。そこにはなんの祝福もありません。ヨハネの手紙Ⅰは、「兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません」(2:11)、「兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です」(4:20)、さらに厳しく「兄弟を憎む者は皆、人殺しです」(3:15)と言っています。私たちは「互いに愛せよ」という戒めだけを主イエス・キリストから受けているのです。

10月20日のみことば

主よ、あなたは人をも獣をも救われる。(詩篇36:7)

創世記は神が万物を創造されたことを告げています。人間だけが神の愛の対象ではない、動物も植物もすべて神の祝福のなの対象です。私たち人間は動物や植物をそのようなものとして見ることを求められているのです。動物を無慈悲に虐待することは神の心に反することです。映画『ノア・約束の箱舟』を観ながらそのことを改めて思いました。

10月21日のみことば

主よ、あなたの慈しみは天に、あなたの真実は大空に満ちている。(詩編36:6)

夜空を仰いでそこに輝く星の美しさに時を忘れたのはいつだったでしょうか。秋の青空を横切っていく鳥を見て、その美しさに感動したのはいつだったでしょうか。自分の足下ばかりを見て、心配したり悩んだりしていた気がします。今日私たちは大空を仰ぎ、そこに満ち溢れる神の慈しみと真実に感動したいと思います。

10月19日のみことば

命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る。(詩編36:10)

「光」は喜びをもたらします。神の恵みの光によって私たちは本当の喜びを経験するのです。こんな言葉を教えてもらいました。「どれほど深い信仰でも、そこに喜びがなければおかしいと考えるべきでしょう。どれほど熱心な奉仕でも、そこに喜びがなければおかしいと考えるべきでしょう。どれほど正しい生活でも、そこに喜びがなければやはりおかしいと考えるべきでしょう。喜びとは、ことの真偽を判別する大切な基準です。」(藤木正三)

10月20日のみことば

主よ、あなたは人をも獣をも救われる。(詩篇36:7)

創世記は神が万物を創造されたことを告げています。人間だけが神の愛の対象ではない、動物も植物もすべて神の祝福のなの対象です。私たち人間は動物や植物をそのようなものとして見ることを求められているのです。動物を無慈悲に虐待することは神の心に反することです。映画『ノア・約束の箱舟』を観ながらそのことを改めて思いました。

10月18日のみことば

あなたを知る人の上に、慈しみが常にありますように。心のまっすぐな人の上に、恵みの御業が常にありますように。(詩編36:11)

「あなたを知る人」とは神を知る人のこと。素直に神を信じている人は「心のまっすぐな人」。その人に神の慈しみ、恵みの御業があると言います。しかも「常に」。曖昧さを脱却して明確に神を知りたいと思います。「我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように、我々を訪れてくださる。」(ホセア6:3)。

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