10月14日のみことば

沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。(詩編37:7)

テレビやラジオのスイッチを入れると、絶え間なく音が聞こえてきます。町に行くと、あちこちから音楽が流れてきます。氾濫した声や音に疲れさえ覚えます。静かな場所で恵みと愛に富む神に思いをはせる時間が現代人には必要なのだと思います。列王記上19:12に「静かな細い声」で神が語られることが記されています。映画『大いなる沈黙へ』はある修道院の日常を追った約3時間のドキュメンタリーですが、この列王記の言葉が出てきます。家で、礼拝堂で静まって神の声に耳を傾けましょう。

10月15日のみことば

あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい、あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを、真昼の光に用に輝かせてくださる。(詩編37:5~6)

困難に直面すると、私たちは自力でなんとか道を切り拓こうとしてじたばたします。しかし詩人は「あなたの道を主にまかせよ」と語ります。そんなことをしていたら、私たちは人々に踏みつけられ、駄目になってしまう? しかしそうではないと言うのです。神ご自身が私たちの前途を祝福し、私たちのなす働きを真昼の光にように誰の目にも明らかなほど輝かせてくださるというのです。ここはひとつ、詩人のこの言葉に従って大胆に神の恵みと力に信頼してみようではありませんか。

10月13日のみことば

怒りを解き、憤りを捨てよ。(詩編37:8)

隣人を平気で傷つけ、自分の思いのまま生きている、そのくせ万事がうまくいっているように見える。そんな人に出会うと、私たちは疑問を持ち、憤りさえ覚えます。自分もいっそのこと彼らのように生きてみようかとさえ思いがちです。しかし詩人は「怒りを解き、憤りを捨てよ」と私たちに語りかけます。彼はそのような生き方の結末を知っています。そこには祝福は決してありません。彼は「悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ。しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼らのいた所を調べてみよ。彼らは消え去っている。」(詩編37:9~10)と教えています。

10月14日のみことば

沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。(詩編37:7)

テレビやラジオのスイッチを入れると、絶え間なく音が聞こえてきます。町に行くと、あちこちから音楽が流れてきます。氾濫した声や音に疲れさえ覚えます。静かな場所で恵みと愛に富む神に思いをはせる時間が現代人には必要なのだと思います。列王記上19:12に「静かな細い声」で神が語られることが記されています。映画『大いなる沈黙へ』はある修道院の日常を追った約3時間のドキュメンタリーですが、この列王記の言葉が出てきます。家で、礼拝堂で静まって神の声に耳を傾けましょう。

10月12日のみことば

主に従う人は憐れんで施す。(詩編37:21後半)

リチャード・J・フォスターの『スピリチュアリティ成長への道』に心に留めたいことが記されていました。「不安からの自由を特徴づける、三つの内的態度がある。もしわれわれが持っているものを賜物として受け取るならば、もしわれわれが持っているものを神が守り世話してくださるならば、そして、もしわれわれが持っているものを他の人々と分かち合えるようにしているならば、われわれは不安から自由になっているのである。」神から頂いた恵みを喜んで他者と分け合う、そのような人を神は一層祝福してくださるのです。今週私は誰と恵みを分かち合いましょうか。

10月13日のみことば

怒りを解き、憤りを捨てよ。(詩編37:8)

隣人を平気で傷つけ、自分の思いのまま生きている、そのくせ万事がうまくいっているように見える。そんな人に出会うと、私たちは疑問を持ち、憤りさえ覚えます。自分もいっそのこと彼らのように生きてみようかとさえ思いがちです。しかし詩人は「怒りを解き、憤りを捨てよ」と私たちに語りかけます。彼はそのような生き方の結末を知っています。そこには祝福は決してありません。彼は「悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ。しばらくすれば、主に逆らう者は消え去る。彼らのいた所を調べてみよ。彼らは消え去っている。」(詩編37:9~10)と教えています。

10月11日のみことば

主に望みを置き、主の道を守れ。主はあなたを高く引き上げて、地を継がせてくださる。(詩編37:34)

あなたが歩もうとしている道は神が示してくださる道? それとも自分が望む道でしょうか? 自分の目に正しいと見える道よりも、神が示してくださる道を選び取ることにしましょう。それはあなたを高く引き上げ、祝福された道にあなたを導くことでしょう。

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