9月18日のみことば

主よ、わたしの祈りを聞き、助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈黙しないでください。(詩編39:13)

あなたは今苦しみ悲しみの涙を流しているでしょうか。どうして神は私に答えてくださらないのだろうと思っているでしょうか。安心しましょう。神は昨日のあなたの涙を確かにご覧になったのです。そして神は今日、あなたのために働かれるのですから。

9月17日のみことば

わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう。(詩編39:10)

リチャード・J・フォスターは『スピリチュアリティ成長への道』の中で黙想の大切さを語っています。黙想とは神の生きた声を聞く心の備えです。祈りについても語っています。祈りの出発点はまず神の声を聞くこと。私たちがのべつ幕無しに語っていては、神はいつ私たちにお語りになれるでしょうか。コヘレトも「黙するに時、語るに時」と言います。黙することが語ることの前にあるのは意義深いですね。

9月18日のみことば

主よ、わたしの祈りを聞き、助けを求める叫びに耳を傾けてください。わたしの涙に沈黙しないでください。(詩編39:13)

あなたは今苦しみ悲しみの涙を流しているでしょうか。どうして神は私に答えてくださらないのだろうと思っているでしょうか。安心しましょう。神は昨日のあなたの涙を確かにご覧になったのです。そして神は今日、あなたのために働かれるのですから。

9月17日のみことば

わたしは黙し、口を開きません。あなたが計らってくださるでしょう。(詩編39:10)

リチャード・J・フォスターは『スピリチュアリティ成長への道』の中で黙想の大切さを語っています。黙想とは神の生きた声を聞く心の備えです。祈りについても語っています。祈りの出発点はまず神の声を聞くこと。私たちがのべつ幕無しに語っていては、神はいつ私たちにお語りになれるでしょうか。コヘレトも「黙するに時、語るに時」と言います。黙することが語ることの前にあるのは意義深いですね。

9月15日のみことば

わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を、祭りに集う人の群れと共に進み、神の家に入り、ひれ伏したことを。(詩篇42:5)

日野原重明先生が『生きるのが楽しくなる十五の習慣』の中で「習慣で培った能力は衰えない」と言っておられます。宇野千代さんは「人の顔つきも習慣である。笑顔が習慣になれば、それはしめたものである」と言っています。神に心を向け、神の恵みを思い起こすことが私たちの大切な習慣となりますように。

9月14日のみことば

涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。(詩編42:2~3)

私たちの時代は魂の渇いている時代です。物を持っても、富を持っても魂の渇きは癒やされません。まるで塩水を飲んでいるように、持てば持つほど渇きは激しくなります。魂の渇きは神の愛によってだけ癒やされるのです。自分は神によって愛されていると気づいた時に、初めてこの渇きは癒されます。礼拝は魂の渇きを癒す場、自分という存在の尊さに改めて気づかされる場、私が私らしく生き生きと生き始める場なのです。

9月14日のみことば

涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。(詩編42:2~3)

私たちの時代は魂の渇いている時代です。物を持っても、富を持っても魂の渇きは癒やされません。まるで塩水を飲んでいるように、持てば持つほど渇きは激しくなります。魂の渇きは神の愛によってだけ癒やされるのです。自分は神によって愛されていると気づいた時に、初めてこの渇きは癒されます。礼拝は魂の渇きを癒す場、自分という存在の尊さに改めて気づかされる場、私が私らしく生き生きと生き始める場なのです。

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