9月10日のみことば

我らの心は…あなたの道をそれて歩もうとはしませんでした。(詩篇44:19)

この詩人のように言うことが出来る人は多くはないように思います。そう願うのですが、しばしばそれてしまうのです。最後の晩餐の席上ペトロは主イエスに「たとえみんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言いますが、鶏が鳴く前に三度も知らないと言うのです。この失敗にも関わらず彼がなお弟子として歩むことができたのは、主イエスが彼のために祈ってくださったからです。「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから・・・」。私たちが今日も喜びと希望をもって歩み続けることができるのもきっと同じですね。

9月9日のみことば

わたしが依り頼むのは自分の弓ではありません。自分の剣によって勝利を得ようともしていません。我らを敵に勝たせ、我らを憎む者を恥に落とすのは、あなたです。(詩編44:7~8)

多くの人は自分の知恵と力に頼って勝利を得ようとします。私たちは知恵や力を持たないわけではありませんが、それだけを究極の頼みとはしていません。その限界性を知っているからです。使徒パウロは「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31)と言っています。神の知恵と力に支えられる人生は幸いだと心底思います。今日も神があなたの味方です

9月8日のみことば

神よ、我らはこの耳で聞いています。先祖が我らに語り伝えたことを、先祖の時代、いにしえの日に、あなたが成し遂げられた御業を。(詩編44:2)

信仰の先達は私たちに「神は生きておられる」「愛に富むお方である」と心をこめて語ってくれました。それを自分自身の生活の中で確かめることができるなら、どんなにすばらしいことでしょう。今日がそのような日でありますように。

9月8日のみことば

神よ、我らはこの耳で聞いています。先祖が我らに語り伝えたことを、先祖の時代、いにしえの日に、あなたが成し遂げられた御業を。(詩編44:2)

信仰の先達は私たちに「神は生きておられる」「愛に富むお方である」と心をこめて語ってくれました。それを自分自身の生活の中で確かめることができるなら、どんなにすばらしいことでしょう。今日がそのような日でありますように。

9月9日のみことば

わたしが依り頼むのは自分の弓ではありません。自分の剣によって勝利を得ようともしていません。我らを敵に勝たせ、我らを憎む者を恥に落とすのは、あなたです。(詩編44:7~8)

多くの人は自分の知恵と力に頼って勝利を得ようとします。私たちは知恵や力を持たないわけではありませんが、それだけを究極の頼みとはしていません。その限界性を知っているからです。使徒パウロは「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31)と言っています。神の知恵と力に支えられる人生は幸いだと心底思います。今日も神があなたの味方です

9月10日のみことば

我らの心は…あなたの道をそれて歩もうとはしませんでした。(詩篇44:19)

この詩人のように言うことが出来る人は多くはないように思います。そう願うのですが、しばしばそれてしまうのです。最後の晩餐の席上ペトロは主イエスに「たとえみんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言いますが、鶏が鳴く前に三度も知らないと言うのです。この失敗にも関わらず彼がなお弟子として歩むことができたのは、主イエスが彼のために祈ってくださったからです。「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから・・・」。私たちが今日も喜びと希望をもって歩み続けることができるのもきっと同じですね。

9月7日のみことば

なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め。(詩編43:5)

実際、誰の人生にもそのような状況に陥ることが何度もあります。その時、あなたはどうされますか。詩人は「神を待ち望め」と言います。神が必ず素晴らしいことをしてくださることを信じ、期待して待つのです。この期待は失望には至りません。やがて喜びとなり、讃美の言葉となるのです。

TOP