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「なんという恵み、なんという喜び」

詩編133編は「都に上る歌」と見出しがついており、一節ではこう詠まれています。  見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。今年の夏は新型コロナウイルス感染不安のため例年とは違っていました。遠方に住む家族はなかなか帰郷できず、子どもたちの夏休みは短くてエネルギーを発散できず

巻頭言「信仰がもたらす美しい連鎖」

 フィレモンへの手紙はパウロ書簡の一つで、紀元54~55年頃エフェソの獄中から書いたものです。元来は「愛する協力者フィレモン」への私信ですが、同時にパウロは「家にある教会」でも読まれることを願っています。 フィレモンの奴隷であったオネシモは何らかの理由で逃亡、エフェソでパウロに再会してキリストへ

平和の道を知ろう

 人類学、霊長類学者の山極寿一氏の『ゴリラは語る』は「15歳の寺子屋」シリーズの一冊です。「ゴリラの家にホームステイしてだいじなことを教わりました」「ゴリラは人間の鏡です」。 山極氏によれば、戦争の原因は4つ。第1は所有。第2は言葉。人間は言葉を持ったことで「あいつらは敵だ」「わたしたちにこんな

巻頭言「祝福に満ちた平和のために」2020.8.9

 最近、赤木雅子氏と相澤冬樹氏(元NHK記者)の『私は真実が知りたい―夫が遺書で告発、「森友」改ざんはなぜ?』を読みました。 雅子さんの夫俊夫氏は財務省近畿財務局に勤務、森友事件で公文書の改ざんを強いられて心身を病み、自ら命を断った方です。彼は真実が明らかにされることを願って手記

礼拝は無上の喜び

 私たちの教会は新型コロナウイルス感染拡大防止のため4月12日㈰のイースター礼拝から5月31日㈰の聖霊降臨日礼拝まで8回主日礼拝を休みました。その間週報をメールやファックスで送信したり郵送したりしました。新しい試みとしてユーチューブによる礼拝を配信、また主日に祈りのために来会された兄弟姉妹とユーチュ

祈りの扉を開こう

『祈る―パウロとカルヴァンとともに』は、神学者ルドルフ・ボーレンの最後の著作であり、召される2年前の2008年、88歳の時に刊行されたものです。心に響く多くの言葉が記されています。祈りはどんな子どもでもできるものだが、カルヴァンは「我々はその相応しい仕方を知らない」と言い、使徒パウロは「何を祈っ

みことばの実験

西南学院大学神学部で教えておられた天野有先生が食道がんのために召されたのは2018年10月17日、享年62才でした。カール・バルトの研究者として次々翻訳出版しておられました。天野先生の最後の文章「カール・バルトの説教」が雑誌「説教黙想アレテイア」(2018年、第102号)に掲載されました。先生が

二つの記念

「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」(マルコ14:3)これは主イエスに高価なナルドの香油を注いだ女性の話です。弟子たちは「無駄遣いだ、そ

新しい言葉を全世界に

「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」(マルコ16:14)「かたくなな心」とは乾燥して固くなった心、マルコ四章の譬えで言うと「道端」のような心で、そこに蒔かれた種は鳥が食べて

ガリラヤでお目にかかれる

マルコとマタイの福音書は主と弟子たちの再会の場はガリラヤであるのと告げ、ルカ福音書は弟子たちにエルサレムに留まるよう促しています。ルカは、福音はエルサレムから全世界に向かって扇状に拡大するという神学を持っているのです。それに対し、マルコとマタイはガリラヤこそ主イエスが福音宣教を開始され、弟子たち

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