11月27日のみことば

悪事を謀る者の集いを憎み、主に逆らう者と共に座ることをしません。(詩編26:5)

隣人の悪口を言う人は次第に品性の輝きを失います。純粋な喜びを失います。そのような交わりは実に脆いものです。詩人は、そのような集いを憎み、共に座らないと言います。私たちが座るべき交わりは主キリストの集い、主の御名が讃美される集い、兄弟姉妹の存在に感謝する集いです。詩編133:1「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」。このような交わりを持っていることに心から感謝したいと思います。

11月25日のみことば

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。(詩編27:4)

あなたの究極の願いは何でしょうか。詩人は、いつも神の宮にいて、神の御顔を仰ぎ望んでいることだと言います。詩編26:8には「主よ、あなたのいます家、あなたの栄光の宿るところをわたしは慕います」とあります。それほどに私たちは聖書の言葉が語られる場、讃美と祈りがささげられる場、即ち礼拝の場を愛し慕っているでしょうか。大いに反省させられます。

11月26日のみことば

彼らがわたしに対して陣を敷いても、わたしの心は恐れない。わたしに向かって戦いを挑んで来ても、わたしには確信がある。(詩編27:3)

詩人が置かれている状況は決して生易しくありません。しかし彼は恐れない、わたしには勝利の確信があると言うのです。から元気、やせ我慢、それとも空しい希望でしょうか。そうではない、彼は確実な救い、光、命の砦としての神を信じているのです。それゆえ彼は勝利を確信しているのです。あなたが神を心底信じているなら、勝利の確信を持っていいのです。

11月24日のみことば

主よ、あなたの道を示し、平らかな道に導いてください。(詩編27:11)

人間関係で悩み苦しんでいない人は一人もいません。偏見や誤解、悪意や憎しみ、非難や中傷に囲まれて過ごしています。だから私たちは必死に理解者を得ようとします。しかし最高の理解者は神だけです。詩編118:6には「主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。」とあります。神が今日もあなたの理解者であり味方です。だからあなたは安心していいのです。

11月25日のみことば

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを。(詩編27:4)

あなたの究極の願いは何でしょうか。詩人は、いつも神の宮にいて、神の御顔を仰ぎ望んでいることだと言います。詩編26:8には「主よ、あなたのいます家、あなたの栄光の宿るところをわたしは慕います」とあります。それほどに私たちは聖書の言葉が語られる場、讃美と祈りがささげられる場、即ち礼拝の場を愛し慕っているでしょうか。大いに反省させられます。

11月23日のみことば

わたしは信じます、命あるものの地で主の恵みを見ることを。(詩編27:13)

来世の幸福を語らない信仰は無力です。しかし現世の幸福を語らない信仰もまた無力です。聖書の神はその両者を語ります。この詩人は「命あるものの地で主の恵みを見ること」を確信しています。神は私たちにもそのように約束してくださいます。だから私たちは近いうちに神の恵みを体験するに違いありません。

11月24日のみことば

主よ、あなたの道を示し、平らかな道に導いてください。(詩編27:11)

人間関係で悩み苦しんでいない人は一人もいません。偏見や誤解、悪意や憎しみ、非難や中傷に囲まれて過ごしています。だから私たちは必死に理解者を得ようとします。しかし最高の理解者は神だけです。詩編118:6には「主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。」とあります。神が今日もあなたの理解者であり味方です。だからあなたは安心していいのです。

TOP