9月30日のみことば

わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり、嘆きもあなたには隠されていません。(詩編38:10)

主イエスは私たちにどんなことでも祈れと勧め、祈ったことはすでにかなえられたと信じなさいと言われました。しかし現実には、聞かれない祈りばかりであるように思えます。しかし詩人はわたしたちが祈った「すべて」が確かに神の御前に届いていると言います。聞き逃されたわけでも、上の空で聞かれたのでも、忘れられたのでもありません。それはちゃんと神に覚えられ、最もふさわしい実現の時を待っているのです。

10月1日のみことば

主に従う人の救いは主のもとから来る。(詩編37:39)

我が家は以前犬を飼っていました。今は猫を飼っています。彼らは気ままですが、誰が自分たちに餌をくれるかは知っており、食事の時間になると、私のほうをじっと見つめます。美味しいものが誰から来るのかを知っているのです。あなたは自分の救い、恵み、祝福がどこから来るか知っているはず。見当違いな方向を見ないようにしましょう。

9月29日のみことば

善意に悪意をもってこたえます。わたしは彼らの幸いを願うのに、彼らは敵対するのです。(詩編38:21)

善意が善意として通じない、それどころから大きな悪意となって返ってくることがあります。辛いところです。ならば悪意に対して私たちも悪意で返しましょうか。主イエスはマタイ12:10で、なお祝福を祈れ、相手が祝福を受けるにふさわしい人でなければ、祈った祝福はあなたに返ってくると言われます。ローマ12:19では、神は「復讐はわたしのすること」と言われます。そうであれば、私たちは安心して相手の幸福だけを願うことにしましょう。

9月30日のみことば

わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり、嘆きもあなたには隠されていません。(詩編38:10)

主イエスは私たちにどんなことでも祈れと勧め、祈ったことはすでにかなえられたと信じなさいと言われました。しかし現実には、聞かれない祈りばかりであるように思えます。しかし詩人はわたしたちが祈った「すべて」が確かに神の御前に届いていると言います。聞き逃されたわけでも、上の空で聞かれたのでも、忘れられたのでもありません。それはちゃんと神に覚えられ、最もふさわしい実現の時を待っているのです。

9月28日のみことば

主よ、わたしを見捨てないでください。わたしの神よ、遠く離れないでください。わたしの救い、わたしの主よ、すぐにわたしを助けてください。(詩篇38:22~23)

詩人は神に「遠く離れないで」と言い、「すぐに助けてください」と言います。聖書の神は遠くから私たちを傍観する方ではありません。「いずれそのうちに」と言う方でもありません。私たちの傍にいて、すぐに助けの手を差し伸べる方です。今週もそうです。

9月29日のみことば

善意に悪意をもってこたえます。わたしは彼らの幸いを願うのに、彼らは敵対するのです。(詩編38:21)

善意が善意として通じない、それどころから大きな悪意となって返ってくることがあります。辛いところです。ならば悪意に対して私たちも悪意で返しましょうか。主イエスはマタイ12:10で、なお祝福を祈れ、相手が祝福を受けるにふさわしい人でなければ、祈った祝福はあなたに返ってくると言われます。ローマ12:19では、神は「復讐はわたしのすること」と言われます。そうであれば、私たちは安心して相手の幸福だけを願うことにしましょう。

9月27日のみことば

わたしは口を閉ざして沈黙し、あまりに黙していたので苦しみがつのり、心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。「教えてください、主よ、わたしの行く末を・・・」(詩編39:3~5)

芭蕉の句に「物言えば唇寒し秋の風」とあります。なにごとにつけても物を言えば、あとでたいてい後悔の気持ちがでるもの。しかし同時に「物言わざれば腹ふくるる」とも言います。ではどうする? 神に申し上げる道が残されています。つまり祈りです。ある老婦人が言った言葉「人に言えば愚痴になりますが、神に申し上げれば祈りになります」。まさに至言。日々いろいろなことを経験しますが、何よりもまず神に申し上げることにしましょう。

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