8月17日のみことば

「わたしの前に集めよ/わたしの慈しみに生きる者を。」(詩編50:5)

私たちが日曜ごとに集まるのは、まさにこのためです。一週を力強く生き抜くために私たちには神の慈しみを必要です。私たちが担っている課題は多く、しかも大きいのですから。

8月15日のみことば

人間は栄華のうちにとどまることはできない。…陰府に置かれた羊の群れ/死が彼らを飼う。…しかし、神はわたしの魂を贖い/陰府の手から取り上げてくださる。(詩編49:13~16)

どんなに栄華を極めても人間の最後は死です。しかし詩人は「神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる」と言います。私たちを最後の最後で取り上げるのは「陰府の手」ではなく神の御手です。御子イエスが「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)と言ったあの愛の御手なのです。

8月16日のみことば

わたしたちの神は来られる/黙してはおられない。(詩編50:3)

詩編50編には「黙してはおられない」という言葉が二度出てきます。もう一回は50:21。神は苦しむ人のために救いを携えて必ず来られますが、悪を行う者には裁きを携えて来られます。そう聖書は伝えています。

8月14日のみことば

あなたが計らってくださいますから/とこしえに、感謝をささげます。(詩編52:11)

「計らう」とは「考え合わせて、適切に処置すること」。神は私のために大所高所から物事を判断し、私のためにもっとも良いことを、もっとも良い時にしてくださるというのです。私たちも詩人とともに「感謝をささげます」と言いたいですね。

8月15日のみことば

人間は栄華のうちにとどまることはできない。…陰府に置かれた羊の群れ/死が彼らを飼う。…しかし、神はわたしの魂を贖い/陰府の手から取り上げてくださる。(詩編49:13~16)

どんなに栄華を極めても人間の最後は死です。しかし詩人は「神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる」と言います。私たちを最後の最後で取り上げるのは「陰府の手」ではなく神の御手です。御子イエスが「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23:46)と言ったあの愛の御手なのです。

8月13日のみことば

わたしは生い茂るオリーブの木。…世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。(詩編52:10)

生い茂る枝に豊かな実をつけるオリーブの木は祝福の象徴です。二年前教会前庭に植えた二本のオリーブの木、今年はたくさんの実をつけています。一つ二つと神の恵みを数えています。あなたの上にも神の祝福が豊かにありますように!

8月14日のみことば

あなたが計らってくださいますから/とこしえに、感謝をささげます。(詩編52:11)

「計らう」とは「考え合わせて、適切に処置すること」。神は私のために大所高所から物事を判断し、私のためにもっとも良いことを、もっとも良い時にしてくださるというのです。私たちも詩人とともに「感謝をささげます」と言いたいですね。

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