7月20日のみことば

わたしの力よ、あなたを見張って待ちます。まことに神はわたしの砦の塔。神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。(詩編59:10~11)

「見張って待つ」とは「待ち焦がれる」という意味。ダビデは神が力をふるって自分をサウルの手から救い出してくださるのを待ち焦がれました。力でサウルを倒すチャンスは幾度もありましたが、ダビデはそれをしませんでした。彼は神の救いを待ち焦がれました。神の救いこそ真の救いだから。今週も神はわたしたちに慈しみ深く、先立って進まれます。私たちに恵みを与えるために。それを待ち焦がれましょう。

7月18日のみことば

ご覧ください、主よ/力ある者がわたしの命をねらって待ち伏せし/争いを仕掛けて来ます。・・・目覚めてわたしに向かい、御覧ください。(詩編59:2~5)

この詩編には「サウルがダビデを殺そうと、人を遣わして家を見張らせたとき」と説明がついています。サウルはイスラエルの初代の王、ダビデはその家臣。当初サウルはダビデを頼みとしていたが、ダビデが次々に手柄を立て国民から誉めそやされるようになると、サウルは嫉妬、遂には殺害しょうとするのです。人間の心に沸き起こる妬みや嫉み、これほどやっかいな敵はありません。しかしこういうことの一切を神がご覧になっているというのです。お互いに心したいものですね。

7月19日のことば

御覧ください、彼らの口は剣を吐きます。…しかし主よ、あなたは彼らを笑い/国々をすべて嘲笑っておられます。(詩編59:8~9)

「彼らの口は剣を吐く」、それは「人を滅ぼすための言葉(偽証や呪詛)」のことです。しかしこの世の権力者がどんな恐ろしい言葉を吐こうと、まことの主権者である神は「嘲笑っておられる」と言うのです。神とこの世の権力者では知恵が違う、力が違う。時に、神がこの世の権力者の愚かな高慢を嘲笑っておられる姿を考えてみることは有益です。私たちの心が解放されます。

7月17日のみことば

ひとつのことを神は語り/ふたつのことをわたしは聞いた/力は神のものであり、慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と。(詩編62:12~13)

神は変わることなく私たちに真理を語り、働いてくださっています。信仰と生活を通して私たちの確信となったことは、「力は神のもの」「慈しみは神のもの」ということです。神はその聖なる力を私たちのために用いられるのです。この確信をもって残りの半週を歩みましょう。あなたとご家族に恵みが豊かにありますように。

7月18日のみことば

ご覧ください、主よ/力ある者がわたしの命をねらって待ち伏せし/争いを仕掛けて来ます。・・・目覚めてわたしに向かい、御覧ください。(詩編59:2~5)

この詩編には「サウルがダビデを殺そうと、人を遣わして家を見張らせたとき」と説明がついています。サウルはイスラエルの初代の王、ダビデはその家臣。当初サウルはダビデを頼みとしていたが、ダビデが次々に手柄を立て国民から誉めそやされるようになると、サウルは嫉妬、遂には殺害しょうとするのです。人間の心に沸き起こる妬みや嫉み、これほどやっかいな敵はありません。しかしこういうことの一切を神がご覧になっているというのです。お互いに心したいものですね。

7月16日のみことば

わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。(詩編62:6)

テレビを見たりラジオを聞いたりしていると、絶え間なくしゃべっており、たまに短い沈黙があると、茶化して何かを語るように促しています。しかし沈黙の時間は本当は大切なのではないでしょうか。本当に大事なことを考える時には沈黙が必要不可欠ではないでしょうか。もし私たちが今日を本当に価値ある日にしたかったら、しばらく沈黙して神に向かい、神の約束の言葉、希望の言葉を聞くべきだと思います。

7月17日のみことば

ひとつのことを神は語り/ふたつのことをわたしは聞いた/力は神のものであり、慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と。(詩編62:12~13)

神は変わることなく私たちに真理を語り、働いてくださっています。信仰と生活を通して私たちの確信となったことは、「力は神のもの」「慈しみは神のもの」ということです。神はその聖なる力を私たちのために用いられるのです。この確信をもって残りの半週を歩みましょう。あなたとご家族に恵みが豊かにありますように。

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