11月7日のみことば

「愚か者を雇い、通りすがりの人を雇うのは、射手が何でもかまわず射抜くようなものだ」(箴言26:19)

会社が人を雇用する場合、目標達成にふさわしい能力を持っているかどうかを吟味するに違いありません。手あたり次第に雇用するのは危険です。まるで弓の射手が敵味方構わず矢を放ち仲間に痛手を負わすように、大切な顧客を失い会社に大きな損害をかけることでしょう。主イエスが弟子たちを集められる時も、彼らの働きぶりを見、彼らと言葉を交わし、吟味して選ばれました。教会の働き人についても同様のことが言えるでしょうね。

11月5日のみことば

「愚か者に物事を託して送る者は/足を切られ、不法を呑み込まされる」(箴言26:6

誠実でない人、能力のない人に物事を託すことの危険性を語っています。不誠実な人に大事な伝言を託しても、彼は足を運ばないかもしれません。派遣した人は足を失ったも同然です。あるいは伝言内容に自分の勝手な解釈を加えかもしれません。そうするととんでもない結果を招くことになります。いずれにしろ派遣した人はそれらの失敗の責任を負わされることになります。使者は信頼できる人に、と知恵の教師は教えるのです。

11月6日のみことば

「愚か者の口にすることわざは/酔っぱらいの手に刺さるとげ」(箴言26:9)

これはどういう意味でしょう?釘は木を必要な場所にしっかりと固定します。同様に知恵ある人の言葉は必要な場所で有益な役目を果たします。しかし愚かな人が語ることわざは、有益な働きはせず、反対に「手に刺さるとげ」のように彼自身と周囲にいる人を傷つけることさえすると言うのです。私たちが今日語る言葉が誰かの心を慰め、励まし、希望と勇気を与え、愛と信仰を増し加えるものでありますように。

11月4日のみことば

「鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うことはない」(箴言26:2)

ある注解者は「いわれのない呪いは、飛び回るすずめや、飛びかけるつばめのようなもので、止まらない」と翻訳しています。他人に悪口を言われ中傷された場合、確かに心が悲しみや怒りでいっぱいになります。しかし知恵の教師は「それらは飛び去るということを知っておきなさい」と言います。讃美歌21-305の歌詞には「すべて過ぎ去ると天は言われる」とあります。神の御心に添わない一切のものは跡形もなく過ぎ去るのです。

11月5日のみことば

「愚か者に物事を託して送る者は/足を切られ、不法を呑み込まされる」(箴言26:6

誠実でない人、能力のない人に物事を託すことの危険性を語っています。不誠実な人に大事な伝言を託しても、彼は足を運ばないかもしれません。派遣した人は足を失ったも同然です。あるいは伝言内容に自分の勝手な解釈を加えかもしれません。そうするととんでもない結果を招くことになります。いずれにしろ派遣した人はそれらの失敗の責任を負わされることになります。使者は信頼できる人に、と知恵の教師は教えるのです。

11月3日のみことば

「侵略されて城壁の滅びた町。自分の霊を制しえない人」(箴言25:28)

忍耐は賞賛に値します。自分の気持を制することができず、しばしば怒りを爆発させてい人は城壁を破壊された町に住む住民と同様危険です。私たちは本能や感情や迷いにひきまわされてはならないのです。箴言16:32には「忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる」ともあります。日本の諺にも「ならぬ堪忍するが堪忍」(がまんできないことをこらえるのが、本当の忍耐というもの)と言います。

11月4日のみことば

「鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うことはない」(箴言26:2)

ある注解者は「いわれのない呪いは、飛び回るすずめや、飛びかけるつばめのようなもので、止まらない」と翻訳しています。他人に悪口を言われ中傷された場合、確かに心が悲しみや怒りでいっぱいになります。しかし知恵の教師は「それらは飛び去るということを知っておきなさい」と言います。讃美歌21-305の歌詞には「すべて過ぎ去ると天は言われる」とあります。神の御心に添わない一切のものは跡形もなく過ぎ去るのです。

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